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【公認会計士が解説】経理経験者でも簿記3級に落ちる?実務と試験のギャップが生む「5つのワナ」と突破法

Sato

Sato/公認会計士/ あずさ監査法人、税理士法人、コンサルファームを経て独立。 IPO支援・M&Aを専門とし、企業の成長を財務面からサポート。 このブログでは、実務に役立つ会計・税務の知識を分かりやすく解説しています。

はじめに:その経験が、思わぬ「壁」になっていませんか?

日々、請求書や領収書を処理し、会計ソフトを駆使して月次決算にも関与する。そのような経理のプロフェッショナルが、なぜ「簿記3級」という会計の入門資格に対して、時に不可解な難しさを感じることがあるのでしょうか。豊富な実務経験は、簿記学習において計り知れない資産となるはずです。しかし、その経験が、試験という特殊な環境下では、予期せぬ「壁」や「盲点」を生み出すことがあります 。  

本稿は、公認会計士の視点から、経理実務の「現場」と簿記検定の「試験会場」との間に存在するギャップを体系的に解き明かし、実務経験者が持つ知識を合格への強力な武器へと転換するための戦略を提示するものです。この分析を通じて、多くの経験者が直面する課題の根源を明らかにします。

その根源にある最も本質的な違いは、求められるゴールの差異にあります。実務における経理の目標は「100%の正確性」です。たった一つのミスが財務諸表の数値を歪め、不適切な会計につながる可能性があるため、誤りは許されません 。常に完璧であることが求められる世界です。一方で、簿記3級試験の目標は、制限時間60分以内に「合格ラインである70点を確保する」ことです 。これは、業務上の誠実さや勤勉さを問うテストではなく、独自のルールと時間的制約の中で得点を最大化する戦略的思考が求められるゲームと言えます 。この根本的な目的の違いを認識することが、合格への第一歩となります。  

第1章:なぜ実務経験が通用しないのか?「現場」と「試験」の3つの決定的ちがい

経理経験者が簿記3級の学習でつまずく原因は、単なる知識不足ではなく、「現場」と「試験」という二つの異なる環境の特性を混同してしまうことにあります。この章では、その決定的な3つの違いを分析します。

1-1. ゴールの違い:「完璧な正確性」と「合格ライン70点」

前述の通り、実務と試験では目指すべきゴールが根本的に異なります。実務では99点の成果であっても、残りの1点が致命的な誤りであれば、それは失敗と見なされます 。しかし、試験では配点の3割を失っても、7割を正解すれば合格です 。この目的の違いが、思考プロセスや行動様式に大きな影響を与えます。  

実務家は、リスクを回避し、一つ一つの取引を慎重かつ網羅的に検証する訓練を積んでいます。この習慣は、プロフェッショナルとして極めて重要ですが、試験においては「完璧主義のジレンマ」を引き起こす可能性があります。具体的には、配点が低いにもかかわらず複雑な問題や、見慣れない形式の問題に遭遇した際に、完璧に解き明かそうとして過剰な時間を費やしてしまう傾向があります。その結果、配点が高く、より平易な他の問題を解く時間がなくなり、合計点が合格ラインに届かないという事態を招きます。

合格のためには、意識的にこの完璧主義から脱却し、「満点を目指す」のではなく「70点を確実に確保する」というプラグマティックな姿勢に切り替える必要があります。そのためには、問題の難易度と配点を瞬時に見極め、時には難問を意図的に捨てる「捨て問」という戦略的判断も不可欠となります 。  

1-2. プロセスの違い:「複雑な判断」と「ルール適用」

経理の実務は、単なるデータ入力作業ではありません。受け取った請求書の内容が妥当か、取引の背景を考慮した上で最も適切な勘定科目は何か、といった複雑な状況判断の連続です 。そこには、業界の慣習や社内ルール、過去の経緯といった、教科書には書かれていない無数の変数が介在します。  

対照的に、簿記検定の問題は、現実の複雑さを意図的に捨象し、特定の会計ルールを正しく適用できるかを問うために設計された、自己完結型のパズルです 。問題文に書かれている情報がすべてであり、それ以外の要素を考慮する必要はありません。実務経験者は、このシンプルな問題設定に対して、無意識に実務上の複雑なシナリオを当てはめ、「なぜ?」という背景や文脈を深読みしてしまう傾向があります。この「深読み」が、かえって正解から遠ざかる原因となるのです。  

1-3. ツールの違い:「会計ソフトの自動化」と「手書きの論理」

現代の経理部門において、会計ソフトは不可欠なツールです。銀行取引の明細を取り込み、AIが勘定科目を推測し、ボタン一つで仕訳が完了する。こうした自動化は業務効率を飛躍的に向上させました 。しかし、この利便性の裏側で、経理担当者自身が複式簿記の根幹である「仕訳」の論理プロセスを手作業で実行する機会は著しく減少しています 。  

会計ソフトは、いわば「ブラックボックス」として機能します。担当者が取引データを入力すれば、ソフトが内部で借方・貸方のルールを正確に適用し、正しい結果を出力します 。これにより、担当者は日々の業務を通じて正しい財務諸表が作成されるプロセスに習熟しているため、自身が会計を深く理解していると認識しがちです。  

しかし、この能力は、多くの場合「システムを正しく操作する能力」であり、「複式簿記の原理に基づいて手作業で仕訳を構築する能力」とは異なります。簿記3級試験、特に配点の45%を占める第1問の仕訳問題は、後者の能力、すなわち手作業での論理構築能力を直接的に問うものです 。この「認識上の能力(自分は会計を知っている)」と「試験で求められるスキル(手で仕訳が切れる)」との間のギャップが、「能力の錯覚」を生み出し、十分な演習を怠る原因となります。  

第2章:経理経験者が陥る「5つのワナ」とその具体的な突破法

実務と試験の3つの決定的違いは、経理経験者特有の具体的な「ワナ」となって現れます。ここでは、代表的な5つのワナを特定し、それぞれに対する具体的な突破法を解説します。

ワナ1:シンプル問題を深読みしてしまう「深読みのワナ」

実務の複雑さに慣れたプロフェッショナルは、試験のシンプルな問題文の裏に、何か隠された意図や条件があるのではないかと勘ぐってしまう傾向があります 。例えば、「商品を掛で販売した」という一文に対し、「消費税の扱いは?」「送料はどちらが負担するのか?」「相手先の与信限度は超えていないか?」など、実務なら当然考慮すべき点を無意識に探してしまいます。しかし、試験問題では、特に指示がない限り、これらの要素は存在しないものとして扱います。  

突破法:「試験脳」に切り替える

このワナを突破するには、問題文を「与えられた情報のみで完結する論理パズル」として捉える、「試験脳」への切り替えが不可欠です。

  • 問題文: 「A社に商品100円を売り上げ、代金は掛けとした。」
  • 経理のプロの思考プロセス: 「掛け取引か。A社の支払いサイトは何日だろう。消費税は税込処理か税抜処理か、請求書にはどう記載すべきか…」
  • 試験脳の思考プロセス: 「取引の要素は2つ。①『売掛金』という資産の増加、②『売上』という収益の発生。資産の増加は借方(左)、収益の発生は貸方(右)。金額は100円。これで終わりだ。」

試験が試しているのは、現実的な業務遂行能力ではなく、与えられた情報に対して会計ルールを機械的に適用する能力であると割り切ることが重要です。

ワナ2:会計ソフトに頼りすぎた「仕訳の筋力不足ワナ」

会計ソフトの自動仕訳機能に日常的に依存していると、複式簿記の基本動作である「仕訳」を自力で、かつ迅速に行うための「筋力」が衰えてしまいます 。概念としては理解していても、いざ問題を前にすると、どの勘定科目を借方と貸方のどちらに置くべきか、瞬時に判断できないことがあります。試験時間60分のうち、15問の仕訳問題が出題される第1問(配点45点)で時間を要してしまうのは致命的です 。  

突破法:「仕訳の素振り」で基礎を固める

この筋力不足を解消する唯一の方法は、反復練習です。野球選手が素振りをするように、基本的な取引の仕訳を何度も繰り返し解き、体に覚え込ませる「仕訳の素振り」が効果的です。簿記はスポーツに似ており、アウトプットの量が点数に直結します 。  

以下の5ステップで、ソフトが自動化している論理プロセスを再構築します。

  1. 取引の分解: 取引の中にどのような経済的な動き(原因と結果)があるかを2つ以上の要素に分解する。
  2. 勘定科目の特定: 分解した各要素に、標準的な勘定科目を割り当てる。
  3. 5大要素への分類: 各勘定科目が「資産・負債・純資産・収益・費用」の5つのグループのどれに属するかを判断する。
  4. 増減の判断と借貸の決定: 各要素が増加したのか減少したのかを判断し、ホームポジションのルール(資産・費用は左が増加、負債・純資産・収益は右が増加)に従って借方・貸方を決定する。
  5. 金額の記入: 金額を記入し、借方合計と貸方合計が必ず一致することを確認する(貸借平均の原理)。

この地道な訓練が、試験本番でのスピードと正確性を担保します。

ワナ3:自社のやり方に固執する「『ウチではこう』のワナ」

多くの企業では、管理のしやすさから独自の勘定科目を使用したり、複数の費用をまとめて「雑費」として処理したりすることがあります 。しかし、簿記検定では、日本商工会議所が定める標準的な勘定科目で解答しなければならず、たとえ意味が通じるとしても、指定外の科目を使えば不正解となります。長年の実務で慣れ親しんだ自社のルールが、試験ではアダとなるのです。  

突破法:「試験のコトバ」に翻訳する

自社の会計処理と試験で求められる処理は「方言」と「標準語」のような関係だと認識し、常に「試験のコトバ」に翻訳する意識を持つことが重要です。特に混同しやすい勘定科目を整理し、その違いを明確に理解する必要があります。

表1:実務と試験の勘定科目 対応表

実務で使いがちな表現試験で求められる標準的な勘定科目解説
雑費通信費、水道光熱費、消耗品費など試験では、取引内容を最も的確に表す具体的な費用科目を選択する必要があります。
普通預金当座預金試験問題、特に小切手や手形の取引では「当座預金」勘定が前提となることが非常に多いです。問題文の指示を注意深く読むことが求められます 。  
備品建物、車両運搬具、工具器具備品など固定資産は、その種類に応じて細分化された勘定科目で解答する必要があります。
売上商品売買益簿記3級では稀ですが、取引の性質によっては、固定資産の売却益など、単純な「売上」ではない収益科目が求められるケースもあります。

ワナ4:知識が古いままの「アップデート不足ワナ」

簿記3級の試験範囲は固定されたものではなく、時代に合わせて改定されています。特に2019年度に行われた改定は影響が大きく、試験の前提が「個人商店」から「小規模の株式会社」へと変更されました 。これにより、従来の論点が削除され、新しい論点が追加されています。数年前に簿記を学んだ経験がある、あるいは古い知識のままでいると、存在しない論点を学習したり、必須の論点を知らないまま試験に臨んだりすることになります。  

突破法:最新の試験範囲にキャッチアップする

必ず最新版のテキストと問題集を使用し、近年の出題傾向を把握することが不可欠です。特に、以下の2つの論点は、かつて2級の範囲でしたが現在は3級で頻出となっており、実務でも重要性が増しているため、確実にマスターする必要があります。

  • クレジット売掛金
    • 取引例: 商品10,000円をクレジットカードで販売した。信販会社への手数料は販売代金の3%(300円)である。
    • 仕訳:(借) クレジット売掛金(借) 支払手数料​9,700300​​​(貸) 売上10,000​​
    • 解説: 通常の「売掛金」と異なり、信販会社から入金されるのは手数料が差し引かれた後の金額です。この手数料は売上発生時に「支払手数料」という費用として認識します 。  
  • 電子記録債権・債務
    • 取引例: 取引先に対する売掛金50,000円について、電子記録債権の発生記録を行った。
    • 仕訳:(借) 電子記録債権​50,000​​​(貸) 売掛金50,000​​
    • 解説: これは、債権(資産)の形態が「売掛金」から、より管理がしやすく安全性の高い「電子記録債権」に変わったことを示す仕訳です。資産の総額に変動はありません 。  

ワナ5:「解ける」と「時間内に解ける」を混同する「練習不足ワナ」

経理経験者は、個々の論点の概念を既に知っているため、「内容は理解できる」と考え、問題演習を軽視しがちです 。しかし、簿記試験は知識の有無だけでなく、それを制限時間内に正確にアウトプットする能力を測るものです。時間をかければ解ける問題でも、60分という短い時間の中では解ききれないかもしれません。  

突破法:「インプット3:アウトプット7」で試験を体に叩き込む

学習時間の配分において、テキストを読む「インプット」に3割、問題を解く「アウトプット」に7割を充てるという「3:7の法則」を意識することが、短期合格の鍵です 。知識を詰め込むだけでなく、それを使いこなすための訓練に重点を置くのです。  

さらに、試験を単なる知識テストではなく、60分間のタイムマネジメントが求められるパフォーマンスと捉え、本番を想定した戦略を立てて練習することが重要です。

  • 解答順序: 最も効率的とされるのは「第1問 → 第3問 → 第2問」の順番です。まず、配点が45点と最も高く、比較的短時間で解答可能な第1問(仕訳問題)で確実に得点を確保します。次に、配点35点の第3問(精算表や財務諸表作成などの総合問題)に取り組みます。そして最後に、出題範囲が広く対策が難しい一方で配点が20点と低い第2問(補助簿や勘定記入など)を残りの時間で解くのが、合格点を確保するための賢明な戦略です 。  
  • 時間配分: 理想的な時間配分は以下の通りです。この時間感覚を、過去問題や模擬試験を解く際に体に染み込ませます。
    • 第1問(仕訳15問): 15分(1問あたり1分)
    • 第3問(総合問題): 25~30分
    • 第2問(補助簿など): 10~15分
    • 見直し: 5分  

実務が日々の地道な作業の積み重ねであるのに対し、試験は限られた時間内で最高のパフォーマンスを発揮する舞台です。知識をインプットする学習者から、戦略的に得点するパフォーマーへと、意識を転換する必要があります。

第3章:実務経験を「最強の武器」に変える方法

ここまで経理経験者が陥りやすいワナについて解説してきましたが、実務経験は正しく活用すれば、他の初学者にはない「最強の武器」となります。

3-1.「なぜ」がわかるから、記憶に定着しやすい

簿記初学者が「貸倒引当金」や「減価償却」といった抽象的な概念を理解するのに苦労する一方で、経理経験者はそれらの会計処理が「なぜ」必要なのかを肌で知っています 。売掛金が回収不能になるリスクや、高額な固定資産の価値が時の経過とともに減少していく現実を、日々の業務で目の当たりにしているからです。  

この「なぜ」という背景知識は、単なる丸暗記を、意味のある理解へと昇華させます。試験で問われるルールを、自身の具体的な実務経験と結びつけることで、知識はより深く、忘れにくいものになります。例えば、減価償却の学習では、自社が車両を購入した際の資産計上や、毎年の費用処理を思い浮かべることで、ルールの本質的な意味を直感的に掴むことができるでしょう。

3-2. 簿記学習は、実務の「解像度」を上げる

簿記検定のための体系的な学習は、普段何気なく会計ソフトで行っている処理の裏側にある、論理的な骨格や会計原則を再確認する絶好の機会です 。複式簿記という「文法」を学び直すことで、会計ソフトが話す「言語」をより深く理解できるようになります。  

この学習は、試験合格という目的を超えて、実務能力そのものを向上させます。例えば、システムが自動生成した仕訳に誤りがないかを見抜く力が養われたり、イレギュラーな取引が発生した際に、会計原則に立ち返って冷静に対処できたりするようになります。また、経理部門以外の社員に対して、財務数値をより論理的かつ明快に説明する能力も向上するでしょう。簿記の学習は、自身の専門性の土台を固め、市場価値の高い経理人材へと成長するための自己投資でもあるのです 。  

まとめ:試験はあなたの実務能力を測るものではない

経理経験者が簿記3級試験で苦戦することがあるのは、決してその実務能力が低いからではありません。むしろ、実務で培われた高いプロ意識や思考習慣が、試験という特殊なルールを持つゲームの攻略を妨げているケースがほとんどです。

簿記3級試験は、実務家としての総合的な価値を測るものではなく、「標準化された会計ルールを、制限時間内に、正確に適用する」という特定のスキルセットを評価するテストです。その本質を理解し、これまでの経験を強みとして活かしつつも、「完璧主義」から「合格点主義」へ、「実務脳」から「試験脳」へと意識を切り替えることが合格への鍵となります。

豊富な実務経験は、決して無駄にはなりません。試験特有の「ルール」を理解し、本稿で示したような正しい戦略で臨めば、合格は目前です。その経験を武器に、最短での合格を掴み取ることは十分に可能です。

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