1.会計・税務

上場企業における会計不正の動向(2025年版):経営者が知るべき手口、原因、防御策

はじめに:なぜ今、会計不正が再び深刻な経営課題なのか?

長年にわたりコーポレートガバナンス改革が進められてきたにもかかわらず、上場企業における会計不正は根絶されるどころか、再び深刻な経営課題として浮上しています。東京商工リサーチの調査によれば、「不適切な会計」を開示した上場企業は4年連続で増加しており、これは単なる統計上の数字ではなく、企業経営の根幹を揺るがすトップティアのリスクが蔓延していることの証左です 。  

会計不正がもたらす影響は、単なる財務諸表の修正にとどまりません。一度不正が発覚すれば、市場の信頼は失墜し、株価は暴落します 。金融庁や証券取引等監視委員会といった規制当局からの厳しい行政処分が下され 、最悪の場合には上場廃止という事態も免れません 。さらに、第三者委員会による調査費用、訴訟対応、内部統制システムの再構築など、その後の対応に要する経営資源は計り知れないものとなります。  

本稿の目的は、単に過去のデータを羅列することではありません。2025年を見据え、経営者や実務担当者が直面する会計不正の実態を多角的に分析し、その手口、根本原因を解剖した上で、実効性のある防御策を具体的に提示することにあります。資本市場からの信頼を維持し、持続的な企業価値を創造するために、今こそ会計不正リスクと真正面から向き合う必要があります。

第1章:データで見る会計不正の最新動向(2025年)

会計不正のリスクを正しく評価するためには、まず客観的なデータに基づき、その全体像と構造を把握することが不可欠です。近年の動向は、不正件数の増加だけでなく、その内容や発生場所にも注目すべき変化を示しています。

明白な増加傾向

会計不正の発生件数は、疑いのない増加トレンドにあります。日本公認会計士協会(JICPA)が公表した調査報告によると、2025年3月期に会計不正の事実を公表した上場会社は56社にのぼり、2021年3月期の26社から倍以上に増加しています 。  

この傾向は、東京商工リサーチ(TSR)による調査でも裏付けられています。2024年度(2024年4月~2025年3月)に「不適切会計」を開示した上場企業は67社・67件に達し、4年連続で前年を上回りました。これは、TSRが2008年度に集計を開始して以来、過去2番目に高い水準です 。この数字は、ガバナンス強化の取り組みにもかかわらず、不正を根絶することの難しさを物語っています。  

「何が」起きたのか:不正内容の分解

不正の具体的な内容を分析すると、世間の注目を集める「粉飾決算」以外にも、日常業務に潜むリスクが浮かび上がります。

TSRの調査によれば、内容別で最も多いのは、経理や会計処理のミスなどに起因する「誤り」で、全体の52.2%(35件)を占めています 。次いで、子会社や従業員による「着服横領」が32.8%(22件)となっており、内部的な資産流用がいまだに大きな問題であることがわかります 。  

ここで注目すべきは、「誤り」が最多であるという事実です。これは一見すると、意図的な不正ではなく、業務プロセスの問題や担当者の能力不足に起因するように見えます。しかし、この「誤り」の多発は、より深刻な問題の兆候である可能性があります。頻発する会計処理のミスは、人員不足や過重労働に喘ぐ経理部門の実態、複雑化する会計基準への対応の遅れ、あるいは規律の緩んだ企業文化の現れかもしれません。不正のトライアングル(後述)における「機会」は、まさにこのような脆弱な内部統制環境から生まれます。したがって、経営者は「誤り」を単なるオペレーション上の問題として軽視するのではなく、意図的な不正が発生する土壌が形成されつつあるという重大な警告として受け止めるべきです。

「誰が」起こしたのか:不正実行者の分析

不正の発生当事者を見ると、リスクが組織のあらゆる階層に存在することが明らかになります。

TSRのデータでは、発生当事者として最も多いのは「会社」自身で、全体の35.8%を占めます。これは主に会計処理手続きの誤りなど、組織的な問題に起因するものです 。続いて、「子会社・関係会社」が29.8%を占め、売上原価の過少計上や架空取引といった、利益を捻出するための意図的な不正経理が目立ちます 。そして、「従業員」による不正は26.8%で、外注費の水増し発注とその一部をキックバックさせて私的流用するなどの着服横領が典型的な手口です 。  

「どこで」起きたのか:市場・業種別の傾向

不正リスクは特定の市場や業種に限定されるものではありません。市場別に見ると、2024年度のTSR調査では東証プライム上場企業が30社と最多でしたが、2024年の暦年調査では東証スタンダードが26社で最多となっており、企業の規模や市場の格付けに関わらず、広範なリスクが存在することを示唆しています 。  

業種別では、製造業が不正開示企業数の上位に常に名を連ねています 。複雑なサプライチェーン、多数の国内外拠点、精緻な原価計算といった製造業特有の事業構造が、不正の機会を生みやすい要因となっている可能性があります。  

会計年度JICPA公表会社数TSR調査:不正内容別構成比TSR調査:発生当事者別構成比
2021年3月期26社N/AN/A
2022年3月期33社N/AN/A
2023年3月期36社N/AN/A
2024年3月期45社N/AN/A
2025年3月期56社誤り: 52.2% 着服横領: 32.8% 粉飾: 14.9%会社: 35.8% 子会社・関係会社: 29.8% 従業員: 26.8%

出典:日本公認会計士協会 、東京商工リサーチ のデータを基に作成。TSRの構成比は2024年度(2024年4月~2025年3月)のデータ。  

この表は、会計不正の全体像を俯瞰するための強力なダッシュボードとなります。単に件数が増加しているという事実だけでなく、その内実が「単純なミス」から「子会社での意図的な不正」、「従業員の窃盗」まで多岐にわたることを示しています。これにより、経営層は自社のリスクプロファイルを評価する上で、どこに重点を置いて監視体制を構築すべきかの示唆を得ることができます。

第2章:不正の手口と実行者の解剖学

会計不正は、大きく分けて「粉飾決算」と「資産の流用」の二つに分類されます。近年の事例を見ると、これらの手口はますます巧妙化し、発見を困難にしています。

カテゴリー1:粉飾決算

粉飾決算は、企業の実態を良く見せかけることを目的とした財務諸表の意図的な改ざんであり、投資家や債権者の判断を誤らせる極めて悪質な行為です。JICPAの調査では、2025年3月期に公表された会計不正のうち76.6%が粉飾決算に分類されており、その影響の大きさから最も警戒すべき不正類型と言えます 。  

売上関連不正

粉飾決算の中で最も古典的かつ多用されるのが、売上に関する不正です。投資家が最も注目する指標である売上高を直接操作するため、その誘惑は常に存在します。

  • 架空売上・循環取引: 実態のない取引を計上する手口。
  • 売上の前倒し計上(先行計上): 決算期末に、本来は翌期に計上すべき売上を当期に計上する手口。中古車販売大手のグッドスピード社が、納車前の車両の売上を計上していた「納車テイ」と呼ばれる手口は、この典型例です 。  

原価・費用関連不正

利益を不正に捻出するもう一つの主要な手口が、原価や費用の操作です。

  • 原価の過少計上: 売上原価を低く見積もることで、売上総利益を不正に増加させます。
  • 費用の資産計上: 本来は費用として処理すべき支出を、資産として貸借対照表に計上する手口。これにより、当期の費用が減少し、利益が過大に計上されます。ゲームソフトウェア開発のガーラ社が、ソフトウェア開発費を不適切に資産計上していた事例がこれに該当します 。  
  • 費用の繰延べ: 当期に発生した費用を翌期以降に先送りすることで、当期の利益を嵩上げします。

カテゴリー2:資産の流用

資産の流用は、会社の資産を不正に個人のものにする行為、すなわち窃盗です。粉飾決算に比べて一件あたりの金額は小さい傾向にありますが、件数が多く、企業の内部統制の脆弱性を直接的に示すものです。

着服・横領

従業員や役員が会社の資金を私的に流用する行為です。

  • 架空請求: 従業員が実態のない請求書を作成し、会社から支払われた金銭を着服する。
  • 経費の不正請求: 個人的な支出を経費として申請し、会社に負担させる。
  • 資金の直接的な窃取: 会社の預金口座から不正に送金する。ヤマウラ社の子会社で発覚した、10年間にわたり約26億円が横領されていた事件は、その規模の大きさから衝撃を与えました 。  

不正受給

近年、新たな傾向として注目されるのが、公的な補助金や助成金の不正受給です。特に、新型コロナウイルス感染症対策として導入された雇用調整助成金を不正に受給する事案が後を絶ちません 。これは、企業の倫理観の欠如を示すだけでなく、国の制度を悪用する反社会的な行為として厳しく非難されます。  

巧妙化する手口とリスク所在地の変化

近年の不正は、単一の手口で行われることは稀で、複数の手口を組み合わせることで発覚を免れようとする傾向が強まっています。例えば、架空売上を計上するだけでは売上総利益率が異常値を示し、監査や内部調査で発見されやすくなります。そこで、架空の仕入や原価操作を同時に行い、利益率を正常範囲に偽装するのです 。このような手口の巧妙化は、従来の画一的な監査手続きだけでは不正を発見することが困難になっていることを意味します。  

また、不正の発生場所にも変化が見られます。従来、ガバナンスが及びにくい海外子会社が不正の温床とされてきました。しかし、JICPAの最新の調査では、国内子会社で発生した不正件数が親会社本社と同水準に達していることが指摘されています 。これは「国内子会社ブラインドスポット」とも言うべき現象です。経営者は、言語や文化が同じであるという安心感から、国内子会社に対する監視を緩めがちです。しかし、親会社からの業績プレッシャーに晒されながらも、海外子会社ほど厳格な監視下にない国内子会社は、不正を実行するための「機会」に恵まれていると言えます。親会社の内部統制や組織力学を熟知した経営幹部が子会社にいる場合、その知識を悪用して不正に手を染めるリスクは決して低くありません。この事実は、グループガバナンスのあり方を根本から見直す必要性を示唆しています。  

第3章:不正はなぜ起きるのか:「不正のトライアングル」で読み解く根本原因

不正行為を効果的に防止するためには、その手口だけでなく、なぜ不正が発生するのかという根本原因を理解することが不可欠です。米国の犯罪学者ドナルド・R・クレッシーが提唱した「不正のトライアングル」は、この問いに答えるための強力なフレームワークです。この理論によれば、不正は「動機・プレッシャー」「機会」「正当化」という3つの要素がすべて揃ったときに発生するとされています 。  

(1) 動機・プレッシャー

不正行為へと駆り立てる最初の要素が「動機」または「プレッシャー」です。これは、個人が置かれた状況によって生まれる内面的な要因です。

  • 組織的なプレッシャー: 粉飾決算の多くは、この組織的なプレッシャーに起因します。非現実的な業績目標、過度なノルマ、株価維持への圧力、金融機関からの融資条件達成の必要性などが、経営者や従業員を不正へと追い込みます 。業績が悪化した際に、その事実を隠蔽したいという動機も強力な要因となります。  
  • 個人的なプレッシャー: 資産の流用(着服・横領)の背景には、多くの場合、個人的な経済的問題が存在します。ギャンブルによる多額の借金、浪費癖、家族の高額な医療費、投資の失敗などが、会社の資金に手を付けさせる直接的な動機となります 。  

(2) 機会:脆弱な内部統制の致命的な役割

動機が存在しても、不正を実行できる「機会」がなければ、不正は発生しません。この「機会」は、企業の内部統制の不備や欠陥によって生まれます。

  • 内部統制の不備: 不正の機会を提供する最も一般的な要因です。具体的には、職務分掌の欠如(一人の担当者が発注から支払い承認まで行えるなど)、承認・照合プロセスの形骸化、資産への物理的アクセスの管理不徹底、会計システムへのアクセス権限の不適切な設定などが挙げられます 。  
  • 不十分な監督体制: 特に子会社や遠隔地の事業所において、親会社や上級管理職による監督が不十分な場合、不正の機会が生まれます 。前述の「国内子会社ブラインドスポット」は、この典型例です。  
  • マネジメント・オーバーライド: 最も深刻かつ破壊的な「機会」が、経営者による内部統制の無効化、すなわち「マネジメント・オーバーライド」です。これは、経営者がその地位と権限を濫用し、意図的に定められた手続きや統制を無視・凌駕して不正を実行する行為です 。ニデック社で経営陣の関与を示唆する資料が発見されたという発表は、このリスクが現実のものであることを示しています 。  

経営者は、マネジメント・オーバーライドが単なる「内部統制の弱点」の一つではないことを深く認識する必要があります。財務報告に係る内部統制(J-SOX)をはじめとする一般的な内部統制は、経営者の監督下で従業員が適切に業務を遂行することを前提に設計されています。つまり、経営者自身を直接的に拘束するようには作られていません。したがって、経営者自身が不正の実行者となった場合、これらの統制は無力化されます。このリスクへの対抗策は、業務プロセスの改善といった次元では不十分です。真の防御策は、経営陣から独立した取締役会(特に社外取締役)、権限を付与された監査役会や監査委員会、そして経営層を迂回できる内部通報制度といった、コーポレート・ガバナンスの仕組みそのものに求められます。

(3) 正当化

動機と機会が揃っても、多くの人は倫理観や罪悪感から不正行為を思いとどまります。しかし、不正実行者は、自らの行為を自分自身に対して「正当化」することで、最後の一線を越えてしまいます。

  • 「これは会社のためだ。一時的な措置に過ぎない」
  • 「自分は正当に評価されていない。これは当然の報酬だ」
  • 「他の皆もやっていることだ。問題ない」
  • 「一時的に借りるだけで、後で返すつもりだ」

このような自己欺瞞的な論理によって、不正行為への心理的なハードルが引き下げられます 。  

第4章:不正の代償:金融商品取引法・会社法に基づく法的責任と行政処分

会計不正は、倫理的な問題であると同時に、厳しい法的制裁を伴う違法行為です。不正が発覚した場合、企業および関与した個人は、金融商品取引法と会社法に基づき、民事、行政、刑事上の重い責任を問われます。金融庁(FSA)や証券取引等監視委員会(SESC)は、市場の公正性を守るため、厳格なエンフォースメントを行っています 。  

金融商品取引法:市場の信頼を守るための法律

金融商品取引法(金商法)は、投資家保護と資本市場の健全な機能の確保を目的としており、有価証券報告書等の開示書類における虚偽記載に対して厳しい罰則を定めています。

課徴金納付命令

行政上の措置として、最も頻繁に適用されるのが課徴金納付命令です。有価証券報告書に重要な虚偽記載があった場合、SESCの勧告に基づき、金融庁が課徴金の納付を命じます。

  • 根拠条文: 金融商品取引法第172条の4
  • 内容: 課徴金額は、原則として対象企業の時価総額の10万分の6、または600万円のいずれか高い額とされており、企業の規模によっては巨額の金銭的負担となります 。近時の事例では、ガーラ社に対して6,495万円、きょくとう社に対して1,500万円の課徴金納付命令が勧告されています 。  

刑事罰

悪質な事案に対しては、刑事罰が科されます。これは関与した個人の人生を大きく左右するだけでなく、企業の存続そのものを脅かすものです。

  • 個人に対する罰則:
    • 根拠条文: 金融商品取引法第197条第1項第1号
    • 内容: 虚偽記載のある有価証券報告書を提出した者は、「10年以下の懲役もしくは1,000万円以下の罰金」に処せられ、またはこれらが併科されます 。  
  • 法人に対する罰則(両罰規定):
    • 根拠条文: 金融商品取引法第207条第1項第1号
    • 内容: 違反行為を行った個人だけでなく、その法人に対しても「7億円以下の罰金」が科されます 。  

会社法:会社とステークホルダーを守るための法律

会社法は、会社の財産を保護し、株主や債権者といったステークホルダーの利益を守る観点から、役員等の不正行為に対して特別な規定を設けています。

特別背任罪

取締役などの会社役員が、自己または第三者の利益を図る目的、もしくは会社に損害を与える目的で任務に背く行為を行い、会社に財産上の損害を与えた場合に成立する犯罪です。粉飾決算や不正融資などが典型的な該当行為です。

  • 根拠条文: 会社法第960条
  • 成立要件: ①取締役等の特定の地位にあること、②自己若しくは第三者の利益を図り又は株式会社に損害を加える目的(図利加害目的)があること、③任務に背く行為(任務違背行為)をしたこと、④会社に財産上の損害を与えたこと、の4つです 。  
  • 罰則: 「10年以下の懲役もしくは1,000万円以下の罰金」に処せられ、またはこれらが併科されます 。金商法違反と並び、経営者個人にとって極めて重い刑事罰です。なお、公訴時効は7年です 。  

その他の影響

法的な制裁に加え、会計不正は様々な副次的な影響をもたらします。東京証券取引所による改善報告書の徴求や上場契約違約金の賦課、特設注意市場銘柄への指定、そして最終的には上場廃止といった措置が取られます 。また、株主代表訴訟による役員の損害賠償責任の追及や、第三者委員会の設置に伴う多額の調査費用も、企業にとって大きな負担となります 。  

法律根拠条文対象行為対象者罰則/課徴金
金融商品取引法第197条第1項第1号有価証券報告書の虚偽記載個人(取締役等)10年以下の懲役もしくは1,000万円以下の罰金(または併科)
金融商品取引法第207条第1項第1号有価証券報告書の虚偽記載法人7億円以下の罰金
金融商品取引法第172条の4有価証券報告書の虚偽記載法人課徴金(時価総額の10万分の6または600万円のいずれか高い額)
会社法第960条特別背任(任務違背行為)個人(取締役等)10年以下の懲役もしくは1,000万円以下の罰金(または併科)

出典:金融商品取引法 、会社法 、関連資料 を基に作成。  

この表は、経営者や法務・コンプライアンス担当者にとって、会計不正が引き起こす法的リスクを具体的かつ網羅的に理解するための不可欠なリファレンスです。抽象的なリスクではなく、条文に裏付けられた具体的な罰則として認識することが、不正抑止の第一歩となります。

第5章:ケーススタディ:近時の事例から学ぶ実践的教訓

理論やデータを理解するだけでなく、実際の事例を分析することで、会計不正がどのように発生し、どのような教訓を残すのかを具体的に学ぶことができます。

ケース1:株式会社グッドスピード - 古典的な売上不正と内部監査の無力化

不正の手口

中古車販売事業を展開するグッドスピード社では、長年にわたり組織的な不正が行われていました。その手口は、顧客への車両引き渡しが完了していないにもかかわらず、納車済みであるかのように装い、売上を前倒しで計上するというものでした 。社内ではこの行為が「納車テイ」と呼ばれ、常態化していました。第三者委員会の調査により、この不正が6年弱にわたって行われ、対象車両は6,000台以上にのぼることが明らかになりました 。  

不正のトライアングル

  • 動機: 業績目標達成への強いプレッシャーが、不正の直接的な動機であったと指摘されています 。  
  • 機会: この不正は、専務取締役という経営幹部の指示によって行われており、典型的なマネジメント・オーバーライドの事例です。調査報告書によれば、内部監査室長は専務取締役から直接「(不正な売上計上のための)棚卸時には目を瞑ってほしい」との要請を受けていました 。これにより、内部監査機能は完全に無力化され、不正を発見・是正する機会が失われました。  
  • 正当化: 市場の期待に応え、成長を維持するためにはやむを得ない措置である、といった組織的な正当化があったと推察されます。

教訓

グッドスピード社の事例は、マネジメント・オーバーライドがいかに内部統制を根底から破壊するかを示す教科書的なケースです。特に、経営幹部から独立しているべき内部監査部門が、その圧力によって機能不全に陥った点は極めて重要です。これは、内部監査部門に形式的な権限を与えるだけでは不十分であり、経営トップからの圧力に屈することなく指摘できる真の独立性と権威を担保する仕組みが不可欠であることを示しています。

ケース2:株式会社ニデック - 経営陣関与の疑いという最大のリスクシグナル

事態の概要

精密小型モーターで世界的なシェアを誇るニデック社は、本体およびグループ会社において不適切な会計処理の可能性がある事案が発見されたと公表しました。特に市場に衝撃を与えたのは、「経営陣が関与または認識した上で、不適切な処理に関わったと解釈する余地のある資料を発見した」という点です 。この発表を受け、同社は直ちに第三者委員会を設置し、事実関係の調査を開始しました 。  

発覚の経緯

この問題は、イタリア子会社における別の問題(貿易取引上の問題)を調査する過程で発覚したものであり、一つの不正調査が他の潜在的な不正を炙り出す連鎖反応の可能性を示唆しています 。  

教訓

ニデック社の事例は、最終的な調査報告を待つまでもなく、経営者にとって重要な教訓を含んでいます。それは、「経営陣関与の疑い」が市場に与えるインパクトの大きさです。この疑いが公表されただけで、同社の株価はストップ安を交えて暴落しました 。これは、投資家にとって経営陣のインテグリティ(誠実性)が、財務数値そのものと同じか、それ以上に重要な判断材料であることを示しています。経営陣関与の疑いというリスクシグナルを検知した場合、企業が取るべき行動は、迅速かつ透明性の高い、独立した調査体制の構築(第三者委員会の設置など)以外にありません。これにより、市場の信頼を少しでも維持し、自浄能力を示すことが唯一の道となります。  

第6章:未来の不正を防ぐために:経営者が今すぐ着手すべき防御戦略

会計不正のリスクはゼロにはできません。しかし、強固な防御壁を築き、リスクを極小化することは可能です。経営者が主導すべき戦略は、単なるルール作りにとどまらず、企業文化の醸成からシステムの強化まで多岐にわたります。

戦略1:トーン・アット・ザ・トップの徹底

不正防止の最も重要な基盤は、経営トップが発する明確なメッセージ、すなわち「トーン・アット・ザ・トップ」です。これは単なるスローガンではなく、経営者の日々の言動を通じて示されるべきものです 。  

  • 具体的なアクション:
    • 経営トップは、定型文ではなく自らの言葉で、倫理的な行動規範の重要性を繰り返し社内外に発信するべきです 。  
    • 昇進や賞与といった人事評価において、業績だけでなく、コンプライアンス遵守や倫理的な行動を明確な評価軸に組み込むことが重要です 。  
    • 軽微な倫理違反であっても決して見過ごさず、一貫した姿勢で対処する「ゼロ・トラーランス(不寛容)」の方針を明確に示します。

戦略2:内部統制の再構築とマネジメント・オーバーライドへの対抗

J-SOX対応で整備された内部統制も、形骸化すれば意味がありません。特に、最も危険なマネジメント・オーバーライドへの対抗策を意識した再構築が求められます。

  • 具体的なアクション:
    • 監査役会や監査委員会の独立性と権限を強化し、経営陣を実質的に監督できる体制を構築します。
    • 監査役・監査委員、内部監査部門、会計監査人が直接的かつ自由に情報交換できる連携体制(三様監査の連携強化)を確保し、経営陣による情報の遮断や歪曲を防ぎます 。  
    • 不正が発生した後で発見する「発見的統制」だけでなく、不正の実行そのものを未然に防ぐ「予防的統制」の導入を重視します 。例えば、一定金額以上の取引には複数名の承認を必須とする、システム上の権限を厳格に分離する、といった措置が挙げられます。  

戦略3:内部通報制度の実効性向上

適切に機能する内部通報制度は、不正の早期発見に極めて有効なツールです 。しかし、報復を恐れて通報を躊躇する従業員が多いため、多くの制度が形骸化しています。  

  • 具体的なアクション:
    1. 匿名性の保証と通報者保護の徹底: 通報者の秘密を厳守し、通報を理由としたいかなる不利益な取り扱い(解雇、降格、嫌がらせ等)も行わないことを、社内外に明確に約束します 。  
    2. 独立した外部窓口の活用: 制度への信頼性を高めるため、社内の担当部署だけでなく、顧問契約のない法律事務所や専門の外部機関を通報窓口として設置します。これにより、通報内容が経営陣に忖度されることなく、客観的に処理されるという安心感を醸成できます 。  
    3. 調査とフィードバックの義務化: すべての通報に対して、迅速かつ公正な調査を実施します。そして、可能な範囲で通報者に対し、調査の進捗や結果をフィードバックすることが極めて重要です。これにより、「通報しても無駄にならない」という信頼が生まれ、制度の利用が促進されます 。  

戦略4:子会社ガバナンスの強化

データが示す通り、子会社は不正の温床となりやすいエリアです。親会社は、グループ全体のリスク管理として、子会社ガバナンスに真剣に取り組む必要があります。

  • 具体的なアクション:
    • グループ全体で統一された会計方針、コンプライアンス規定、行動規範を策定し、徹底させます。
    • 親会社の内部監査部門が、予告なしで国内外の子会社に対する監査を定期的に実施します 。  
    • 子会社の経理・財務責任者などのキーパーソンを定期的に親会社との間で異動させ、特定の個人への権限集中や現地での癒着を防ぎます。

近年の監査法人の異動増加も、不正リスク管理の観点から注目すべき現象です。2025年上半期には157社が監査法人を異動し、前年同期比で89.1%増という大幅な増加を記録しました 。この異動の背景には、監査報酬や監査期間満了といった様々な理由がありますが、監査人の交代は不正発見の重要な契機となり得ます。長年の契約で生じがちな監査法人との「馴れ合い」や見過ごしが、新しい監査人の新鮮な視点によって是正される可能性があるからです。新しい監査チームは、過去の会計処理を先入観なく見直すため、長期間隠蔽されてきた不正が発覚するケースは少なくありません。したがって、取締役会や監査委員会は、監査法人の交代を単なる手続きとしてではなく、自社の財務報告体制を徹底的に見直す絶好の機会と捉え、新任監査人との連携を密にし、特に最初の1~2年の監査期間においては、より一層の注意を払うべきです。  

結論:不正リスクと共存する時代の経営

本稿で見てきたように、上場企業における会計不正は増加の一途をたどり、その手口は巧妙化し、発生場所も多様化しています。不正のトライアングルが示す通り、その根本原因は、業績へのプレッシャーという「動機」と、脆弱な内部統制やガバナンス不全という「機会」の組み合わせにあります。そして、ひとたび不正が発覚すれば、金融商品取引法や会社法に基づく課徴金や刑事罰という形で、企業と経営者個人に破滅的な代償をもたらします。

もはや、会計不正を「一部の不心得者が起こす例外的な事件」と捉えることはできません。それは、あらゆる企業に内在し、常に発現の機会をうかがっている経営上の「常在リスク」です。

このリスクと共存する時代において、経営者に求められるのは、不正防止を一時的なプロジェクトではなく、企業文化に根差した継続的なプロセスとして位置づけることです。強固な「トーン・アット・ザ・トップ」を確立し、マネジメント・オーバーライドを許さないガバナンス体制を構築し、従業員が安心して声を上げられる実効的な内部通報制度を整備すること。そして、子会社を含むグループ全体にその理念とシステムを浸透させること。これら一連の取り組みは、もはや単なるコンプライアンス上の要請ではありません。それは、市場からの信頼を勝ち取り、持続的な企業価値を創造するための、経営者の根源的かつ不可侵の責務なのです。

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