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PBR1倍割れは「買い」なのか?公認会計士が解き明かす「解散価値」のウソとホント

はじめに:株式市場の「お買い得セール」?PBR1倍割れという謎

もし、ある会社の全株式を100億円で買った後、すぐに会社を解散・清算したら120億円が手元に残るとしたら、それは「お買い得」だと思いませんか?

実は、株式市場で今まさに話題になっている「PBR1倍割れ」とは、理論上これと似たような状況を指しています。この「お買い得セール」のような状態の企業が日本には数多く存在し、2023年には東京証券取引所(東証)が名指しで改善を求めるという異例の事態にまで発展しました 。  

このニュースをきっかけに、「PBR1倍割れは買いだ!」という声を耳にする機会が増えたかもしれません。しかし、本当にそうなのでしょうか?

こんにちは、公認会計士の視点から投資を解説するブログへようこそ。この記事では、単なる計算式の説明にとどまらず、会社の「決算書の中身」を覗き込みながら、PBRという指標が本当に意味していることを解き明かしていきます。PBR1倍割れという現象のウソとホントを一緒に見極め、より賢い投資判断ができるようになることを目指しましょう。

第1章:基本の「き」~ PBRとは会社の「正味財産」と株価を比べるモノサシ

まず、PBRの基本からおさらいしましょう。PBRは「Price Book-value Ratio」の略で、日本語では「株価純資産倍率」と呼ばれます 。これは、市場が評価する会社の値段(株価)と、会社が帳簿上で持つ正味の財産(純資産)を比べるための、とてもシンプルなモノサシです 。  

家の価値を考えるとき、その家の市場での売値と、土地や建物の価値から住宅ローンを差し引いた「正味の価値」を比べるようなものだとイメージしてください。

PBRを構成する要素

PBRを理解するには、2つのキーワードが重要です。

  • 純資産 (Net Assets) 会社のすべての財産(総資産)から、銀行からの借入金などの負債をすべて差し引いた残りの部分を指します。これは、返済義務がなく、純粋に株主のものである財産、いわば「株主の持ち分」です 。  
  • 1株当たり純資産 (BPS: Book-value Per Share) 上記の純資産を、会社が発行している株式の総数で割ったものです。これにより、株式1株あたりの純資産額がわかり、株価と比較しやすくなります 。  

魔法の数字「1倍」と「解散価値」

PBRの基準となるのは「1倍」という数字です。PBRが1倍ということは、株価と1株当たり純資産(BPS)がちょうど同じ価値であることを意味します 。  

ここで登場するのが「解散価値」という重要なコンセプトです。BPSは、理論上、もし会社が今すぐ事業をやめて、持っている資産をすべて売り、借金をすべて返済した後に、株主の手元に残る1株あたりのお金の価値とされています 。つまり、PBRが1倍なら「株価=解散価値」となり、PBRが1倍を割れている(例:0.8倍)なら「株価<解散価値」という、冒頭で述べた「お買い得」な状態を示唆するのです 。  

具体例で見てみよう

簡単な例で計算してみましょう。

  • A社の株価が800円だとします。
  • 決算書(貸借対照表)を見ると、純資産が1000億円で、発行済株式数が1億株でした。

この場合、

  1. 1株当たり純資産 (BPS)を計算します。 1000億円÷1億株=1000円
  2. PBRを計算します。 株価800円÷BPS1000円=0.8倍

この計算結果が意味するのは、「この会社の株は、理論上の解散価値が1株1000円もあるのに、市場では800円で売られている」ということです。これがPBR1倍割れの正体です 。  

会計士の視点

この「解散価値」という考え方は、PBR分析の理論的な土台であり、株価の下支えとなる目安を与えてくれます。しかし、このシンプルさこそが、実は最大の落とし穴でもあります。

PBR1倍割れがお買い得であるという前提は、BPSの計算の基になる「Book-value(帳簿価額)」が正確で、すぐに現金化できる価値を持っている、という仮定の上に成り立っています。しかし、私たち会計士が日々扱っている財務諸表は、現在の市場価格ではなく、過去の取得価格(取得原価)や保守的な会計ルールに基づいて作成されています 。  

この「会計上の価値」と「現実の価値」のズレこそ、投資家がPBRを正しく理解する上で最も重要なポイントなのです。次の章では、このズレの正体を詳しく見ていきましょう。

第2章:会計士の虫眼鏡~「解散価値」は本当か?貸借対照表のウラ側

PBRの「B」、つまりBook-value(帳簿価額)は、絶対的な一つの数字ではありません。会計ルールに基づいた見積もりであり、その中には「お宝」も「地雷」も隠れている可能性があります。財務諸表はリアルタイムの鑑定書ではなく、過去の記録をまとめた歴史書のようなものなのです 。  

PBR1倍割れの真価を見抜くには、その純資産の中身を吟味する必要があります。

パターン1:隠れたお宝(含み益)があるケース

会社の資産の中には、帳簿に記載された価格(簿価)よりも、はるかに高い価値を持つものが存在することがあります。これは会計の「取得原価主義」というルールが関係しています。

  • 具体例:不動産 ある会社が1960年代に購入した銀座の一等地の土地を保有しているとします。帳簿上は当時の購入価格である数百万円で記録されているかもしれませんが、現在の時価は数百億円にものぼる可能性があります。この帳簿に現れていない莫大な価値の差が「含み益」です 。この場合、計算上のBPSよりも真の解散価値ははるかに高く、PBR1倍割れは見た目以上に「お買い得」ということになります。  
  • その他の例 長年保有している取引先の株式(投資有価証券)なども、購入時より価値が大きく上がっていれば、同様に含み益を抱えている可能性があります。

パターン2:隠れたリスク(含み損)があるケース

逆に、帳簿上の価値よりも実際の価値が著しく低い資産もあります。市場はこうしたリスクを嗅ぎつけ、株価が低迷し、結果としてPBRが1倍を割れているのかもしれません。

  • 具体例1:在庫(棚卸資産) アパレル会社が、流行遅れの服を大量に倉庫に抱えているとします。帳簿上は仕入れた価格で資産計上されていますが、実際には大幅な値引きをしないと売れません。このような場合、会計ルールでは「棚卸資産評価損」という損失を計上し、資産価値を実態に合わせて切り下げる必要があります 。決算書にこの項目があれば、資産が劣化しているサインです。  
  • 具体例2:古い設備(固定資産) 工場の機械が老朽化し、生産効率が著しく低下しているケースを考えてみましょう。帳簿上はまだ価値が残っていても、その設備から将来得られる収益はごくわずかです。このとき、「減損会計」という手続きによって、資産の価値を将来の回収可能額まで強制的に引き下げ、損失を認識します 。これは、会社の収益を生み出す源泉が傷んでいることを示す重要な警告です。  
  • その他の例 回収不能な売掛金、失敗したM&Aによって生じた「のれん」の価値の毀損なども、純資産を蝕む隠れたリスクとなり得ます 。  

会計士の視点

PBRが低いという事実は、それ自体が結論ではありません。それは、「この会社の資産の質はどうなのだろうか?」という、より深い問いへの入り口なのです。

単純な投資家は「PBRが0.7倍だ、安い!」と考えます。しかし、一歩進んだ投資家は「なぜ0.7倍なのだろう?」と問いを立てます。その答えは、純資産の中身にあります。その会社の純資産は、潤沢な現金や価値ある不動産(質の高い資産)で構成されているのか、それとも売れ残りの在庫や古い機械(質の低い資産)で構成されているのか。

PBRは答えではなく、調査を開始するためのシグナルです。決算書の中に「減損損失」や「棚卸資産評価損」といった記述を見つけたら、それは会計士がすぐに気づく赤信号であり、帳簿上の価値がすでに圧力を受けている証拠です。PBR1倍割れという数字の裏側にある、資産の「質」を見極めることこそが、賢明な投資判断の鍵となります 。  

第3章:市場が動いた!東証が「PBR1倍割れ企業」に改善を求めたワケ

2023年、日本の株式市場に大きな変化が訪れました。東京証券取引所が、上場企業、特にPBRが継続的に1倍を割れている企業に対して、改善策の開示と実行を「強く要請する」という、画期的な方針を打ち出したのです 。  

なぜ東証は動いたのか?日本の構造的な問題

この要請の背景には、日本企業が長年抱えてきた根深い問題があります。

  • PBR1倍割れ企業の異常な多さ 驚くべきことに、日本では東証プライム市場に上場する企業の約半数がPBR1倍割れの状態でした。米国の代表的な株価指数S&P500ではその割合がわずか5%程度であることと比較すると、その異常さが際立ちます 。  
  • 低い資本効率と投資家軽視の文化 この原因として、多くの日本企業が稼いだ利益を成長投資に回したり、株主に還元したりせず、必要以上に現金(遊休資産)として溜め込んできたことが挙げられます 。株主の利益よりも、企業の安定や従業員の雇用を優先する伝統的な経営姿勢が、資本効率の低下を招いていました 。  
  • 市場からの厳しい評価 その結果、投資家は日本企業に対して高い成長や株主還元を期待せず、それが低い株価、つまり低いPBRにつながっていたのです。PBR1倍割れは、「事業を続けるより解散した方がマシ」と市場から評価されているのと同じことだと指摘されました 。  

東証が目指す「好循環」

東証の目的は、単にPBRを1倍以上にすることではありません。企業が「資本コストや株価を意識した経営」を実践し、企業価値を高めること。そして、その成果が投資家に還元され、それが再び市場への投資につながるという「好循環」を生み出すことにあります 。  

企業はいま、何をしているのか?

この要請を受け、多くの企業が行動を起こしています。

  • 現状分析と計画策定 自社のPBRがなぜ低いのかを分析し、改善に向けた具体的な計画を策定・開示することが求められています 。  
  • 具体的な取り組み 計画には、研究開発や設備投資といった成長投資、事業ポートフォリオの見直し、そして自社株買い増配といった株主還元の強化策が盛り込まれています 。  

会計士の視点

東証のこの要請は、日本の投資環境を根本から変える可能性を秘めています。それは、眠っていた価値を解き放つための強力な「触媒」の役割を果たしているからです。

考えてみてください。要請以前は、PBRが低い企業は経営陣に変わるインセンティブがなく、何年も割安なまま放置される「バリュートラップ(万年割安株)」であることが少なくありませんでした 。  

しかし、東証という外部からの強い働きかけによって、経営陣は自社の株価評価の低さと向き合わざるを得なくなりました。これは投資家にとって、まさにゲームチェンジです。投資の問いは、もはや「この会社は割安か?」だけではありません。「この割安な会社は、価値向上のための信頼できる計画を持っており、経営陣はそれを本気で実行しようとしているか?」という、より動的な問いに変わったのです。

これにより、投資家は「改革と共に投資する」という新たな戦略をとれるようになりました。東証の要請に真摯に応え、変革を遂げようとしている企業を発掘することが、大きな投資機会につながる時代が到来したと言えるでしょう。

第4章:投資家の道具箱~PBRを「最強の武器」に変える合わせワザ

ここまで見てきたように、PBRは非常に奥深い指標ですが、それ一つだけで投資判断をするのは危険です。例えるなら、PBRは強力ながらも少し大雑把な武器のようなもの。その真価を発揮させるには、他の指標と組み合わせ、精密な分析を行う必要があります。

PBRの強力なパートナーたち

特にPBRと相性の良い2つの指標を紹介します。

  • PER (株価収益率) 会社の「利益」と株価を比べる指標です。株価が1株当たり利益の何倍かを示し、市場の「期待度」や「人気度」を測るモノサシと言えます。PERが高いほど、将来の成長への期待が高いと解釈されます 。  
  • ROE (自己資本利益率) 会社の「稼ぐ力」を測る指標です。株主の持ち分である自己資本(純資産)を使って、どれだけ効率的に利益を生み出しているかを示します。ROEが高いほど、経営が上手いと言えます 。経済産業省が発表した「伊藤レポート」では、グローバルな投資家が期待する最低ラインとして「ROE 8%」が一つの目安として示され、広く意識されています 。  

黄金の方程式:PBR=PER×ROE

これら3つの指標には、PBR=PER×ROE という美しい関係式が成り立ちます 。  

これは平たく言えば、「会社の評価(PBR) = 市場の期待度(PER) × 会社の稼ぐ力(ROE)」ということです。

この方程式は、PBRが低い原因を突き止めるための強力な診断ツールになります 。  

  • ROEが低いからPBRが低いのか? → 会社が儲かっていない、資本効率が悪い。
  • PERが低いからPBRが低いのか? → 会社は儲かっているが、市場が将来性に期待していない。

お宝株を探せ!PBR-ROEマトリックス

この関係性を利用して、企業を4つのタイプに分類し、投資機会とリスクを可視化してみましょう。この表は、抽象的な数式を具体的な投資戦略に落とし込むための羅針盤となります。

ROEが低い (例: 8%未満)ROEが高い (例: 8%以上)
PBRが低い (例: 1倍未満)⚠️ 潜在的な「バリュートラップ」 収益性が低く、将来性も期待されていない。抜本的な改革がなければ、割安なまま放置される可能性が高い。投資には慎重な判断が必要。💎 隠れた「お宝株」候補 「稼ぐ力」は高いのに、市場から正当に評価されていない。東証の要請などをきっかけに、株価が見直される(PERが上昇する)可能性を秘める。
PBRが高い (例: 1倍以上)🤔 注意が必要な銘柄 「稼ぐ力」が低いにもかかわらず、株価は割高。将来の成長への過度な期待が先行しているリスクがある。🌟 成長優良株 「稼ぐ力」が高く、市場からの期待も高い理想的な状態。株価は妥当か、やや割高な水準にあることが多い。

会計士の視点

これらの指標の関係性は、企業の「物語」を語ってくれます。例えば、PBRが低いままでも、ROEが年々改善している企業は、まさに経営改革が実を結びつつある「ターンアラウンド(業績回復)」の物語を紡いでいる最中です。逆に、PBRもROEも慢性的に低い企業は、事業が衰退していく悲しい物語かもしれません。

財務諸表は時間と共に物語を語ります。ある一時点のPBRは、その物語の一単語に過ぎません。ROEやPERの「推移」を合わせて見ることで、文章全体、ひいては一つの章を読むことができるのです 。例えば、ある会社のROEが2年間で4%から9%に改善したのに、PBRが0.7倍のままだとしたら、それは市場がまだその経営改善に気づいていないことを示唆しています。これこそ、洞察力のある投資家が探すべき絶好の機会なのです。  

結論:あなただけの「お宝株」を見つけるための4つのステップ

この記事を通じて、PBR1倍割れが自動的な「買い」のサインではなく、「より深く調査するための招待状」であることがお分かりいただけたかと思います。それは、企業が割安である可能性を示唆する強力なシグナルですが、その真価を見抜くためには、あなた自身の「宿題」が必要です。

最後に、株式投資の初心者でも実践できる、お宝株を見つけるための具体的な4つのステップを提案します。

  1. PBRを確認し、比較する (Check and Compare) まずはPBRが1倍を割れているかを確認します。そして、その数字を同じ業界の他社と比較しましょう。銀行業のPBR 0.8倍と、情報通信業のPBR 0.8倍では、その意味合いが全く異なります 。  
  2. ROEで「稼ぐ力」を診断する (Diagnose with ROE) その会社は利益を出せているでしょうか?ROEは目安である8%を超えていますか?そして最も重要なのは、ROEのトレンドが改善傾向にあるかです。これにより、価値のない「バリュートラップ」を避けることができます 。  
  3. 貸借対照表を「探検」する (Explore the Balance Sheet) 会社の主な資産は何でしょうか?第2章で見たように、価値ある不動産や投資有価証券といった「隠れたお宝」は眠っていないか?逆に、大量の売れ残り在庫や古い設備といった「隠れたリスク」はないか?決算短信などを読んで、資産の質を自分なりに評価してみましょう。
  4. 会社の「計画」を読む (Read the Plan) 東証の要請を受け、会社はどのような価値向上策を打ち出しているでしょうか?企業のIR(投資家向け情報)サイトで、「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」に関する開示資料を探してみてください。その計画は具体的で信頼できるものか、経営陣の本気度が感じられるかを見極めることが、これからの日本株投資の鍵となります 。  

投資とは、魔法の公式を見つけることではありません。正しい問いを立て続けることです。PBRという指標を出発点に、この4つのステップを実践することで、あなたは単なる数字の羅列の向こう側にある、企業の真の姿を理解し始めることができるでしょう。プロの分析家が持つべき批判的な思考の第一歩を、あなたはもう踏み出しています。

幸運を祈ります!

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