はじめに:株価は魔法じゃない、企業の「物語」そのもの
ニュースでよく見かける、めまぐるしく変わる株価の数字。「あの会社の株が上がった」「こっちの株は下がった」と聞いても、株式投資をしたことがない方にとっては、どこか遠い世界の話のように感じるかもしれません。「そもそも、あの数字は何を意味していて、どうして毎日変わるんだろう?」と、一度は疑問に思ったことはありませんか?
こんにちは、公認会計士として日々たくさんの会社の数字と向き合っている者です。実は、株価の背景には、常に二つの強力な「物語」が存在しています。
一つは、「数字が語る物語(理論的な価値)」。これは、会社の財産や利益、そして将来性といったデータに基づいて、会計士やアナリストが論理的に計算する価値です。いわば、会社の成績表から読み解く冷静な物語です。
もう一つは、「投資家が信じる物語(市場での価格)」。これは、何百万人もの投資家たちの期待や不安、希望といった感情が混ざり合って生まれる、リアルタイムの物語です。ニュースやトレンド、経済全体のムードに大きく影響されます。
この記事を読み終える頃には、この二つの物語がどのように絡み合って、私たちが目にする「株価」を形作っているのかが、すっきりと理解できるようになるはずです。株価の決まり方のナゾを解き明かし、株式市場を「よくわからないもの」から「もっと知りたい!」と思えるような、好奇心あふれる対象に変えるお手伝いができれば幸いです。
いちばん簡単な答え:株価は巨大な「人気投票」
株価の仕組みを最もシンプルに説明すると、それは「需要と供給」のバランスで決まる、巨大な人気投票のようなものです 。
限定版の人気スニーカーのオークションを想像してみてください。そのスニーカーを「買いたい」という人がたくさんいて(需要が高い)、売りに出されている数が少なければ(供給が少ない)、価格はどんどん上がっていきます。逆に、多くの人が「売りたい」と思っているのに、買いたい人が少なければ、価格は下がってしまいますよね 。
株式もこれと全く同じです。企業が発行している株式の数には限りがあります。そのため、その会社の株を「買いたい」と思う人が「売りたい」と思う人より多ければ株価は上がり、「売りたい」人が多ければ株価は下がるのです 。
しかし、ここからが株式投資の面白いところです。投資家は、ただ自分が「良い会社だ」と思う株を買うだけではありません。イギリスの経済学者ケインズは、これを「美人投票」に例えました 。
美人投票で勝つためには、自分が一番美人だと思う人に投票するのではなく、「他の多くの人が美人だと投票しそうな人」に投票する必要があります。株式投資もこれに似ていて、多くの投資家は「この会社は素晴らしい」という理由だけでなく、「これから他の多くの投資家がこの会社の素晴らしさに気づいて株を買い、結果として株価が上がるだろう」と予測して投資するのです。
つまり、株式市場は単に企業の優劣を評価する場ではなく、「他の人はどう考えるか?」を読み合う、高度な心理戦の側面も持っているのです。これが、業績が良いはずの会社の株価が下がったり、その逆が起きたりする理由の一つです。
会計士の道具箱:会社の「本当の価値」を測る3つの視点
では、そもそも何が会社を「人気」にするのでしょうか?株価が単なる気まぐれな人気投票で終わらないのは、その裏付けとなる「企業価値(きぎょうかち)」という客観的なモノサシが存在するからです 。私たち会計のプロは、この企業価値を評価することで、現在の株価が妥当かどうかを判断しようとします。
企業価値を測るアプローチは大きく分けて3つあります。専門用語で言うと難しく聞こえますが、実はそれぞれがシンプルな問いに答えるためのものです 。
1. 「もし今会社を解散したら、いくら残る?」(コストアプローチ)
これは、「もし会社が今日すべての事業をやめて、持っている資産(工場、現金、商品など)を全部売り、借金をすべて返済したら、株主の手元にいくら残るのか?」という問いに答えるアプローチです 。いわば、会社の「解散価値」であり、価値の最低ラインを示すものと考えられます。
この考え方で役立つのがPBR(株価純資産倍率)という指標です。PBRは、現在の株価がこの「1株あたりの解散価値」の何倍になっているかを示します。もしPBRが1倍を下回っていれば、その会社の株は、理論上の解散価値よりも安い価格で取引されていることになり、「割安」である可能性を示唆します 。
2. 「似ている会社は、いくらの値段がついている?」(マーケットアプローチ)
家を買うときに、近所の似たような物件の価格を参考にするのと同じように、ある会社の価値を、株式市場で取引されている競合他社の株価と比較して評価する方法です 。これは相対的な価値の測り方と言えます。
このアプローチで最もよく使われるのがPER(株価収益率)です。PERは、現在の株価が「会社が1年間で稼ぐ1株あたりの利益」の何倍になっているかを示します。一般的に15倍程度が目安とされ、同業他社や市場平均と比べてPERが低い場合、その会社の株は利益の面から見て相対的に「割安」と判断されることがあります 。
3. 「この会社は、将来どれだけのお金を生み出す力がある?」(インカムアプローチ)
これが、多くのプロが最も重要視する問いです。「会社の本当の価値は、過去の財産や現在の利益だけでなく、将来にわたって株主のためにお金を生み出し続ける能力にある」という考え方です 。このアプローチは、会社の未来の可能性に焦点を当てます。
これら3つの視点をまとめたのが、以下の表です。
表1:会社の価値を見る3つのレンズ
アプローチ | 核心的な問い | 簡単な例え |
コストアプローチ | 会社の純資産はいくらか? | 今すぐ会社を清算した場合の「解散価値」 |
マーケットアプローチ | 似ている会社はいくらで評価されているか? | 株式市場での「比較ショッピング」 |
インカムアプローチ | 将来どれだけのキャッシュを生み出すか? | 将来実るすべての果実から木の価値を測る |
そして、初心者の方がまずチェックできる具体的な指標がこちらです。
表2:初心者向け・割安度チェックツール
指標 | 正式名称 | 何を比較しているか | 「割安」の一般的な目安 |
PER | 株価収益率 | 株価 vs. 会社の利益 | 低いほど割安(例:15倍以下) |
PBR | 株価純資産倍率 | 株価 vs. 会社の純資産 | 低いほど割安(例:1倍以下) |
計算式はそれぞれ以下のようになります。 PER=株価÷1株あたり当期純利益(EPS) PBR=株価÷1株あたり純資産(BPS)
プロの技を覗き見:未来の価値を計算する「DCF法」
先ほど紹介した「インカムアプローチ」を、プロが実践する際に使う最も代表的な手法がDCF(ディーシーエフ)法です 。計算は非常に複雑ですが、その考え方は驚くほどシンプルです。
「果物のなる木の価値」で例えてみましょう。
あなたが、毎年100個のリンゴが実る木を買おうとしているとします。この木の値段はいくらが妥当でしょうか?
- 将来生まれるすべてのリンゴを合計する(キャッシュフロー) この木の価値は、今年だけでなく、来年、再来年…と、将来にわたって実るであろう「すべてのリンゴの合計」で決まるはずです。これがDCF法でいう「キャッシュフロー(会社が生み出すお金)」の部分です 。
- 未来のリンゴを「割り引く」(ディスカウント) では、「来年手に入る100個のリンゴ」と、「今すぐ手に入る100個のリンゴ」は同じ価値でしょうか?おそらく違いますよね。来年の約束は、もしかしたら守られないかもしれません(木が病気になる、天候不順など)。未来のものは、手に入るまでの不確実性(リスク)がある分、現在の価値より少し割り引いて考えるのが合理的です。これが「ディスカウント(割引)」という考え方です 。
DCF法とは、まさにこの考え方で、「会社が将来生み出すであろうすべてのお金(キャッシュフロー)を、未来のリスクを考慮して現在の価値に割り引いて合計し、会社の価値を算出する」手法なのです。
この手法が理論的に最も優れているとされるのは、企業の成長性や収益性といった「将来稼ぐ力」を直接的に価値評価に反映できるからです 。しかし、この手法には重要な特徴があります。それは、計算の土台となる「将来の事業計画」が、あくまで
未来予測であるという点です。
将来の売上やコストは、誰にも100%正確に予測することはできません 。そのため、同じ会社を同じDCF法で評価しても、Aというアナリストが「この会社は今後大きく成長する」と楽観的な予測を立てれば企業価値は高くなり、Bというアナリストが「競争が激化して成長は鈍化する」と悲観的な予測を立てれば企業価値は低くなります。
これは、株式投資の初心者が知っておくべき非常に重要な事実です。つまり、絶対的に正しい「一つの株価」というものは存在しないのです。プロの評価でさえ、未来に対する「仮説」に基づいています。だからこそ、新しい情報が出るたびに人々の未来予測が変わり、株価は常に変動し続けるのです。
「人の心」が株価を動かす:市場のムードという見えざる力
プロがこれほど高度なツールを使って理論的な価値を計算しているのに、なぜ株価は毎日、時には毎分、大きく変動するのでしょうか?
その答えが、冒頭で触れたもう一つの物語、「市場心理(しじょうしんり)」です 。企業の理論的な価値が「理屈」の世界だとすれば、市場心理は「感情」の世界です。
株価が動くプロセスは、以下のような連鎖反応で説明できます。
- 外部で何らかの出来事が起こる (例:日本銀行が「金利を引き上げる」と発表する)
- 出来事が投資家の心理に影響を与える (例:「金利が上がるなら、リスクのある株式より安全な預金の方が魅力的になるかもしれない。株を少し売っておこうか」と、市場全体が慎重なムードになる)
- 心理の変化が需要と供給のバランスを変える (例:株を「売りたい」と考える投資家が、「買いたい」と考える投資家より増える)
- 結果として株価が動く (例:売り注文が買い注文を上回り、株式市場全体の株価が下落する)
このように、景気の動向、金利、為替レート、政治の安定、国際情勢といった様々な外部要因は、それ自体が直接株価を動かすわけではありません。それらのニュースが投資家たちの心理を揺さぶり、その結果として売買行動が変わり、株価が変動するのです 。
例えば「金利の上昇」という一つの出来事も、複数の経路で株価に影響を与えます。
- 心理的な影響:金利が上がれば預金の魅力が増し、相対的に株式から資金が流出しやすくなります 。
- 企業業績への影響:企業にとっては、銀行からお金を借りる際のコストが上がるため、設備投資などを控えがちになり、将来の利益が圧迫される可能性があります 。
- 企業価値評価への影響:DCF法の説明で触れた「割引率」は、一般的に金利が上がると高くなります。割引率が高くなるということは、将来の利益の現在価値が低く評価されることになり、理論的な企業価値そのものが下がる要因となります 。
このように、株価は企業の価値という「土台」と、市場心理という「波」の両方によって決まっているのです。
公平なゲームのための重要ルール:インサイダー取引について
この企業価値の評価と市場心理の駆け引きが成り立つためには、すべての参加者が公平なルールのもとでプレーしているという大前提が必要です。その中でも最も重要なルールが「インサイダー取引の禁止」です。
インサイダー取引とは、ごく簡単に言えば、会社の役員や従業員など、内部の人間しか知らない「まだ公開されていない重要な情報」を利用して、その会社の株を売買し、利益を得たり損失を回避したりする行為のことです 。
この行為は、日本の金融商品取引法(きんゆうしょうひんとりひきほう)という法律で厳しく禁止されています 。
なぜ禁止されているのか、少し想像してみてください。あなたが一生懸命に企業を分析し、「この会社は将来性がある」と判断して株を買ったとします。しかしその翌日、会社が「実は巨額の損失を出していました」と発表し、株価は大暴落。あなたは大きな損失を被りました。後になって、会社の内部の人間がその情報を発表前に知っていて、自分の株をすべて売り抜けて損失を免れていたことがわかったら、どう思うでしょうか。「そんなの不公平だ!」と感じるはずです。
インサイダー取引規制は、まさにこのような不公平を防ぐために存在します。一般の投資家が、内部情報を持つ者に対して一方的に不利な状況に置かれることがないようにし、株式市場全体の信頼性や公平性を守っているのです 。あなたがこれから安心して株式投資を始められるのも、このルールが市場の信頼の土台となっているからです。
規制の対象となるのは、会社の役員や従業員だけでなく、その情報を伝え聞いた家族や友人(第一次情報受領者と呼ばれます)なども含まれるため、注意が必要です 。
まとめ:新しい視点で、あなたの投資の旅を始めよう
ここまで、株価が決まる仕組みについて解説してきました。最後に、最も大切なポイントを振り返りましょう。
株価とは、
- 企業の資産や将来の収益力から計算される「理論的な価値」
- 投資家たちの期待や不安が渦巻く「市場の心理」
この二つの物語が交差する点で決まる、常に動き続けるダイナミックなものです。それは決して純粋に合理的でもなければ、完全に感情的なわけでもなく、その両方が絶妙に混ざり合った結果なのです。
次にニュースで株価を見たとき、あるいはよく利用するお店や好きな製品を作っている会社の名前を見かけたとき、ぜひこう自問してみてください。「この会社の『数字が語る物語』はどうだろう?そして今、市場はこの会社に対してどんな『感情の物語』を抱いているのだろう?」と。
この少しの視点の変化こそが、賢明な投資家になるための、そして何より株式投資を自分自身の知的な冒険として楽しむための、最も重要な第一歩です。
これから投資を始めてみたいと思った方には、国が個人の資産形成を応援するために設けたNISA(少額投資非課税制度)という、税金の面でとても有利な制度があります 。まずは少額から、この制度を活用して一歩を踏み出してみるのも良いでしょう。
株価の決まり方を理解したあなたは、投資の世界への大きな一歩をすでに踏み出しました。ここから始まる学びの旅へ、ようこそ。