「旧経営陣に590億円の賠償命令」—。これは、過去に世間を震撼させたオリンパス事件で、裁判所が下した判決の一部です 。この巨額賠償の原因の一つが、粉飾決算に基づく「違法配当」でした。
配当は、株主にとっては投資の果実であり、経営者にとっては成功の証です。しかし、そのルールを一つ間違えれば、会社の財産を危険にさらし、取締役個人が破産しかねないほどの責任を負うことになる、諸刃の剣でもあります。
本記事では、経営者や実務担当者の皆様が知っておくべき「配当可能限度額を超えた場合の法的責任」と、万が一そのような事態に陥った際の「具体的な対応策」について、会計士が専門的な知見から分かりやすく解説します。これは決して他人事ではありません。自社とご自身の未来を守るために、ぜひ最後までお読みください。
目次
1. すべての始まり:「違法配当」とは何か?
法的責任を理解する前に、まず何が「違法」となるのか、その根本的なルールから確認しましょう。
1.1. 会社の大原則「分配可能額」とは
株式会社は、稼いだ利益を無制限に株主へ配当できるわけではありません。会社法は、会社の財産を守り、会社にお金を貸している債権者(銀行など)を保護するために、配当できる金額に上限を設けています。これが「分配可能額」です 。
分配可能額は、大まかに言えば、会社の純資産から資本金や法律で定められた準備金などを差し引いた「剰余金」をベースに計算されます。この計算を誤ったり、意図的に無視したりして、分配可能額を超えて配当を行うことが、すべての問題の始まりです。
【参照条文】 会社法 第四百六十一条 株式会社が剰余金の配当をする場合には、当該剰余金の配当により株主に交付する金銭等の帳簿価額の合計額は、当該行為がその効力を生ずる日における分配可能額を超えてはならない。
この規定は、会社の体力を示す純資産が過度に流出するのを防ぎ、会社の継続性と債権者への返済能力を担保するための、会社経営における鉄則なのです。
1.2. 自らの足を食べる「蛸配当」
分配可能額がない、あるいはそれを超えて行われる配当を「違法配当」と呼びます 。
この違法配当は、古くから「蛸配当(たこはいとう)」という俗称で知られています。これは、タコが空腹時に自分の足を食べてしまうという俗説になぞらえたものです。つまり、会社が将来の成長のために蓄えるべき財産(資本)を食いつぶしてまで配当を行う、自己破壊的な行為であることを的確に表現しています 。
多くの場合、違法配当は意図的な「粉飾決算」とセットで行われます。架空の売上を計上するなどして利益を水増しし、それに基づいて算出された見せかけの分配可能額を根拠に配当が行われるのです。オリンパス事件も、まさにこの典型的なケースでした 。
2. 法的責任の全体像:誰が、何を、どこまで負うのか?
もし違法配当が行われた場合、その責任は誰が、どのように負うのでしょうか。会社法は、関係者に対して非常に厳しい責任を定めています。
2.1. 取締役・業務執行者の責任:会社への賠償から刑事罰まで
最も重い責任を負うのは、違法配当の意思決定や実行に関与した取締役や業務執行者です。
金銭支払義務(会社法第462条第1項)
違法配当に関する議案を株主総会や取締役会に提案した取締役、その議案に賛成した取締役、そして配当金の支払いを実行した業務執行者などは、連帯して、違法に分配された金額の全額を会社に支払う義務を負います 。
これは「連帯責任」であるため、会社は責任を負う取締役のうち、誰か一人に対して全額を請求することも可能です。
免責の条件
この金銭支払義務は、原則として免れることができません。ただし、例外的に「その職務を行うについて注意を怠らなかったことを証明したとき」は、責任を免除されます 。
重要なのは、取締役自身が「自分に過失はなかった」ことを証明しなければならない点です(立証責任の転換)。「知らなかった」では済まされず、会計帳簿を適切に確認し、分配可能額の計算が正しいかチェックするなど、善良な管理者としての注意義務を果たしたことを具体的に示す必要があります。これは非常に高いハードルです 。
刑事罰のリスク(会社法第963条第5項第2号)
さらに、法令に違反して剰余金の配当をした取締役には、5年以下の懲役もしくは500万円以下の罰金、またはその両方が科される可能性があります 。違法配当は、単なる民事上の損害賠償問題にとどまらず、刑事事件に発展しうる重大なコンプライアンス違反なのです。
2.2. 株主の責任:善意でも返還義務は免れない
違法配当の責任は、経営陣だけに留まりません。配当を受け取った株主にも、会社に対する返還義務が生じます。
会社法では、違法配当によって金銭等の交付を受けた株主は、会社に対してその交付された金銭等に相当する額を支払う義務を負うと定められています 。
ここで最も注意すべき点は、この返還義務は、株主がその配当が違法であることを知らなかった場合、つまり「善意」であったとしても免れないということです 。会社財産の保全という目的が、個々の株主の事情よりも優先されるためです。本来受け取るべきではなかったお金を、元に戻す義務がある、と考えると分かりやすいでしょう。
2.3. 【表で比較】関係者別の責任早見表
複雑な責任関係を、以下の表にまとめました。特に、取締役が会社に弁済した後、株主に対してその分を請求できるか(求償)という点で、株主の「善意」「悪意」が重要になります。
責任の内容 | 取締役・業務執行者 | 悪意の株主 (違法と知っていた) | 善意の株主 (違法と知らなかった) |
会社への金銭支払義務 | ○ (連帯責任) | ○ (受領額) | ○ (受領額) |
責任免除の可能性 | △ (無過失の証明が必要) | × (なし) | × (なし) |
役員からの求償義務 | (対象外) | ○ (あり) | × (なし) |
刑事罰の可能性 | ○ (あり) | × (なし) | × (なし) |
この表から分かる重要な点は、取締役が自らの責任で会社に弁済した場合、その負担分を「悪意の株主」には請求できますが、「善意の株主」には請求できないということです 。これは、自ら違法行為に関与した取締役が、何も知らなかった株主に責任を転嫁することを防ぐための規定です。
3.【実例】オリンパス事件に学ぶ、違法配当の本当の恐ろしさ
違法配当のリスクを最も雄弁に物語るのが、2011年に発覚したオリンパス事件です 。
- 背景: オリンパスは、1990年代のバブル経済崩壊時に抱えた巨額の有価証券投資の損失を、長年にわたり「飛ばし」と呼ばれる手法で隠蔽し続けていました 。
- 違法配当の実行: 損失を隠蔽し、実態よりもはるかに良く見せかけた虚偽の財務諸表を作成。この粉飾された利益を元に、本来であれば存在しないはずの分配可能額を超えた配当を、長年にわたり実施していました 。
- 結末: 事件発覚後、株主代表訴訟が提起され、東京地方裁判所は旧経営陣に対し、違法配当などによって会社に与えた損害として、総額約590億円という天文学的な金額の賠償を命じました 。
この事件は、違法配当が単なる計算ミスではなく、経営の根幹を揺るがすガバナンスの崩壊から生まれることを示しています。そして、その責任は最終的に、経営者個人に、人生をかけても償いきれないほどの金額で降りかかってくるという、何よりの教訓となりました。
4.【予防策】違法配当を未然に防ぐための経営者の心得
悲劇を繰り返さないために、経営者は何をすべきでしょうか。違法配当を防ぐための基本的な心得は、以下の3点に集約されます。
- 正確な分配可能額の算定の徹底 これは大前提です。配当決議を行う前には、必ず最新の会計基準に基づき、正確な分配可能額を算出してください。特に、資産の評価や自己株式の処理など、計算が複雑になる要素がある場合は細心の注意が必要です 。
- 内部管理体制の構築 経理担当者一人に計算を任せきりにするのではなく、複数人によるダブルチェック、トリプルチェックの体制を構築することが不可欠です。計算根拠となる資料を整理・保管し、取締役会での承認プロセスを明確に文書化しておくことも、万が一の際に自社の正当性を主張する上で重要になります。
- 専門家への事前相談 分配可能額の計算に少しでも不安がある場合や、多額の配当を予定している場合は、決議の前に必ず公認会計士や弁護士などの専門家に相談してください。専門家から助言を得て、その助言に基づいて意思決定を行ったという事実は、取締役が注意義務を果たしたことの有力な証拠となります。これは、コストではなく、経営者個人を守るための「保険」と考えるべきです。
5.【対応策】万が一、違法配当が発生してしまったら
予防策を講じていても、ヒューマンエラーなどによって違法配当が発生してしまう可能性はゼロではありません。その際は、パニックにならず、以下の手順で迅速かつ誠実に対応することが被害を最小限に食い止める鍵となります。
- Step 1: 支払いの即時停止 もし配当金の支払いが完了していない場合は、直ちに支払いを停止します。
- Step 2: 超過額の正確な把握 会計部門が中心となり、どのくらいの金額が分配可能額を超過して支払われたのか、事実関係を正確に調査・確定します。
- Step 3: 専門家への緊急相談 速やかに顧問会計士や弁護士に連絡を取り、法的な状況評価と今後の対応について具体的な助言を求めます。初動の対応を誤ると、問題がさらに複雑化する恐れがあります。
- Step 4: 株主への返還請求 株主に対して、事情を丁寧に説明し、違法に支払われた配当金の返還を正式に要請します。前述の通り、株主は善意であっても返還義務を負います。
- Step 5: 取締役の責任追及と社内処分 会社として、違法配当に関与した取締役の責任の所在を明確にし、会社への弁済請求や社内での処分を検討します。このプロセスを曖昧にすると、会社のガバナンスに対する信頼が失墜します。
重要なのは、問題を隠蔽せず、迅速かつ透明性をもって対応することです。誠実な対応は、債権者や株主、取引先からの信頼を維持するために不可欠です。
6. よくあるご質問 (FAQ)
Q1: 取締役の責任は、株主総会の決議で免除できますか? :
A1: 一定の範囲内でのみ可能です。総株主の同意があれば、違法配当の時点での「分配可能額」を上限として責任を免除できます。しかし、それを超える部分については、総株主の同意があっても免除されません(会社法第462条第3項)。これは、会社の債権者を保護するための重要な規定です。
Q2: 今回の責任と、一般的な「任務懈怠責任」との違いは何ですか?
A2: これは任務懈怠責任の一種ですが、特に法律で要件が定められた「特別法定責任」です 。最大の違いは、会社側が取締役の過失を証明する必要がなく、逆に行為を行った取締役自身が「注意を怠らなかったこと」を証明しない限り責任を免れられない点にあります 。立証責任が転換されているため、取締役にとっては非常に厳しい責任と言えます。
Q3: 株主の返還義務に時効はありますか? :
A3: 会社法に明確な時効規定はありませんが、一般的には不当利得返還請求権の性質を持つと解釈されています 。そのため、民法の規定に基づき、権利を行使できることを知った時から5年、または権利を行使できる時から10年と考えられています。ただし、法解釈には争いがあるため、問題が発覚した際は速やかに専門家にご相談ください。
まとめ
違法配当は、経営者が直面しうる最も深刻なリスクの一つです。その責任は会社だけでなく、取締役個人や、事情を知らない株主にまで及びます。
- 取締役は、無過失を証明できない限り、違法配当額の全額を連帯して賠償する義務を負い、刑事罰の対象にもなる。
- 株主は、善意であっても受け取った配当金を返還する義務がある。
- 最善の策は、厳格な内部管理と専門家への事前相談による「予防」である。
- 万が一発生した場合は、隠蔽せず、専門家の助言のもと「迅速・誠実な対応」が求められる。
配当は経営の成果ですが、そのルールは会社の根幹を守るためのものです。健全な会社経営を継続するため、そして経営者ご自身の未来を守るためにも、配当に関するルールを正しく理解し、慎重に手続きを進めてください。ご不明な点があれば、いつでも私たち専門家にご相談ください。
ここでは、あくまで私個人の視点から、皆様のご参考としていくつかの書籍を挙げさせていただきます。