目次
はじめに
「プロジェクトは始まったばかりで、全体のゴールがまだ見えない。でも、費用だけはどんどん出ていく…」。建設業や大規模なソフトウェア開発の現場では、そんな状況がよくあります。このとき、経理担当者や経営者は頭を悩ませます。「一体、いつ、いくら売上を計上すればいいのだろう?」と。
建設業などの長期にわたる契約では、新しい会計ルールである「収益認識に関する会計基準」をどう適用するかが重要な課題です。特に、プロジェクトの進捗度が正確に測れない初期段階などで登場するのが「原価回収基準」という考え方です 。
この記事では、会計の専門家が、「原価回収基準」を適用する際の具体的なポイントを、より分かりやすく、具体例を交えて解説します。
(1)原価回収基準とは?
まず、このルールの定義から確認しましょう。 原価回収基準とは、「履行義務(お客様との約束)を果たすために発生した費用のうち、回収できると見込まれる金額を上限として収益を認識する方法」をいいます (収益認識基準15項)。
少し難しく聞こえますが、ポイントは「発生した費用とほぼ同額を売上として計上する」という点です 。つまり、この方法を適用している間は、会計上の利益は「ゼロ」になります。
これは、成果がまだ不確実な状況で、実態とかけ離れた大きな利益が計上されるのを防ぐための、非常に保守的で堅実な会計処理の方法なのです。
(2)大前提:一定の期間にわたり充足される履行義務かどうかの検討
原価回収基準の話に入る前に、その大前提となる考え方について触れておく必要があります。建設工事のような契約では、まずその仕事(履行義務)が「一定の期間にわたって行われるもの」なのか、「ある一時点で完了するもの」なのかを判断します。
多くの工事契約は、契約期間を通じて少しずつサービスを提供し、建物などの資産価値を高めていくため、「一定の期間にわたり充足される履行義務」に該当するケースが多いと考えられます 。原価回収基準は、このように「一定の期間にわたる履行義務」であると判断された上で、次のステップに進んだときに登場する論点です。
(3)履行義務の充足に係る進捗度が見積もれるかどうかの検討
ここからが本題です。「一定の期間にわたる履行義務」と判断された場合、次にその進捗度を合理的に見積もることができるかを検討します。
進捗度が見積もれる場合
もし、実行予算がしっかりと組まれており、プロジェクト全体の進捗度を合理的に見積もることができるなら、その進捗度に基づいて収益を計上します(これは従来の工事進行基準と似た処理です)。
進捗度が見積もれない場合(ここで原価回収基準が登場!)
一方で、プロジェクトの初期段階で詳細な実行予算がまだ作られていないなど、進捗度を合理的に見積もることができないケースがあります 。
しかし、その場合でも、
- お客様と正式な契約を結んでいる
- 発生した費用は、プロジェクトの完成に直接的に貢献している
といった理由から、発生した費用は将来回収できると見込まれることがほとんどです 。
この「進捗度は見積もれない(例えば、実行予算未提出の状況)が、発生費用は回収できる(例えば、契約締結済、かつ、発生したコストが履行義務の充足に係る進捗度に寄与する場合(※))」という2つの要件を満たした場合に、原価回収基準が適用されます 。一定の期間にわたり充足される履行義務について、履行義務の充足に係る進捗度を合理的に見積もることができる場合、進捗度に基づき、収益を一定の期間にわたり認識します(収益認識基準45項)。
(※)発生したコストが履行義務の充足に係る進捗度に寄与しない場合とは?
例えば、発生する費用を回収することが見込めない場合(発生したコストが履行義務の充足に係る進捗度に寄与しない場合)とは、下記の場合が想定されます。
・契約の価格に反映されていない著しく非効率な履行に起因して発生したコスト
・重大な施工上の事故や重大な施工ミス等に関するコスト
【具体例で学ぶ!建設業の会計処理と仕訳】
- 契約内容: 特殊な橋を建設する工事
- 請負金額: 10億円
- 状況: 1年目の決算日時点では、プロジェクトが初期段階のため全体の進捗度が合理的に見積もれない。
- 1年目に発生した費用(原価): 2億円(材料費、労務費など)
- 費用の回収見込み: 請負金額が10億円なので、発生した原価2億円は回収できると見込まれる。
この場合、1年目の決算では原価回収基準を適用し、売上高(完成工事高)を2億円として計上します。
【1年目の仕訳例】
① 日々の原価発生時 工事のために支払った費用を「未成工事支出金」(仕掛品のような資産科目)に集計します。
勘定科目 | 借方 | 貸方 |
未成工事支出金 | 200,000,000 | |
現金及び預金 など | 200,000,000 |
② 決算時 決算にあたり、原価回収基準を適用して売上と原価を計上します。まず、資産である「未成工事支出金」を、費用の科目である「完成工事原価」に振り替えます 。
勘定科目 | 借方 | 貸方 |
完成工事原価 | 200,000,000 | |
未成工事支出金 | 200,000,000 |
次に、発生した原価と同額の2億円を、売上である「完成工事高」として計上します。相手勘定は、売掛金にあたる「完成工事未収入金」です 。
勘定科目 | 借方 | 貸方 |
完成工事未収入金 | 200,000,000 | |
完成工事高 | 200,000,000 |
この結果、1年目の損益計算書には「売上高 2億円、売上原価 2億円、売上総利益 0円」と記載されます。
(4)原価回収基準を適用しない場合(代替的な取扱い)
実は、例外的なケースも認められています。 契約の初期段階で、発生した費用の金額に重要性が乏しい場合(例えば、ごくわずかな調査費用しか発生していない場合など)には、あえて原価回収基準を適用せず、収益も費用も一切計上しないことができます 。
これは、契約初期段階の重要性が乏しい費用についてまで厳密な処理を求めると、実務が煩雑になることを考慮した代替的な取扱いです。この場合、進捗度が合理的に見積もれるようになった時点から、初めて収益認識を開始することになります。
法律・税金との関係は?
税法との関連 会計上のルールが変われば、税金の計算にも影響が出ます。結論から言うと、進捗度が見積もれない場合に原価回収基準を適用するという会計処理は、法人税法上も原則として同様の取扱いが認められています。これは、法人税法第22条の2が「一般に公正妥当と認められる会計処理の基準」に従った会計処理を税務上も尊重することを定めているためです 。
(4)原価回収基準を適用しない場合(代替的な処理)
収益認識適用指針99項及び172項では、詳細な予算が編成される前等、「契約の初期段階」において進捗度を合理的に見積もることができない場合には、収益を認識せず、進捗度を合理的に見積もることができる時から収益を認識することができるとされています。
詳細な予算が編成される前等、契約の初期段階においては、その段階で発生した費用の額に重要性が乏しいと考えられ、当該契約の初期段階に回収することが見込まれる費用の額で収益を認識しないとしても、財務諸表間の比較可能性を大きく損なうものではないと考えられるため、代替的な取扱いが定められております。
(5)原価回収基準の適用における留意点
「(4)原価回収基準を適用しない場合(代替的な処理)」は、詳細な予算が編成される前等、契約の初期段階のみ容認される代替的な処理となります。
そのため、原価回収基準を社内に導入する際には以下の点に留意する必要があります。
①原価回収基準を適用しないことができる「契約の初期段階」については、社内の経理規程、マニュアル等で定義しておくことが必要(「契約の初期段階」の判断に関する恣意性の介入を排除するため)
②「契約の初期段階」にあるとして原価回収基準を適用していない識別された履行義務について、「契約の初期段階」であることを確認する仕組みを構築する
③原価回収基準を適用する場合、首尾一貫した判断基準により、回収可能性の判断が行われる仕組みを構築する(発生原価の回収可能性及びその範囲は、発注者からの着工指示の有無や、発注者との交渉状況、既発生原価の把握の状況等を総合的に考慮し、各社において事象毎に判断を行う)
④原価回収基準が適用対象となる履行義務に対して網羅的に適用されていることが確認できる仕組みを構築する
⑤決算日ごとに、②∼④の見直しを、識別された履行義務ごとに行われる仕組みを構築する。
よくある質問(Q&A)
原価回収基準と工事進行基準(契約資産)の違いは何ですか?
工事進行基準(現在は履行義務の充足に応じて収益を認識する方法に統合)が契約の進捗度に応じて収益を認識するのに対し、原価回収基準は発生した費用の回収が完了するまで収益を認識しない(費用と同額までしか認識しない)点で根本的に異なります。原価回収基準は、対価の回収可能性が極めて不確実な場合に限定的に適用される、より保守的な会計処理です。
原価回収基準を適用していた契約の回収可能性が高まった場合、会計処理は変更できますか?
はい、変更可能です。対価を回収できる可能性が確実になったと合理的に判断できるようになった時点から、通常の収益認識基準(履行義務の充足に応じた収益認識)に切り替えることになります。この変更は将来に向かって適用され、過去の会計処理を遡って修正する必要はありません。
ソフトウェアの受託開発で原価回収基準が使われるのは、どのようなケースですか?
例えば、開発したソフトウェアが顧客の検収を通過するかどうか、あるいはそもそも対価が支払われるかどうかが極めて不確実な状況が該当します。開発に投じたコストの回収すら見込めない重大なリスクがある場合に、この基準の適用が検討されます。
なお、本稿の参考となる書籍はこちらをご覧ください。