この記事でわかること
- ストックオプションの権利行使で「自己株式の処分」が使われる理由
- 権利行使時の具体的な会計処理と仕訳例
- 「自己株式処分差損益」の考え方と資本剰余金への影響
- 会計処理と税務処理の重要な違い
目次
はじめに:なぜストックオプションで「自己株式」が使われるのか?
こんにちは、公認会計士のSatoです。
企業の成長に貢献してくれた役員や従業員へのインセンティブとして、「ストックオプション」は非常に有効な手段です。ストックオプションとは、かんたんに言うと「あらかじめ決められた価格(権利行使価額)で、自社の株式を購入できる権利」のことです 。
さて、このストックオプションの権利が行使されたとき、会社は株式を交付する必要があります。その方法は大きく分けて2つあります。
- 新株を発行する
- 会社が保有している自己株式を交付(処分)する
新株を発行すると、発行済株式総数が増加します。これは、既存株主の持株比率が低下する「希薄化」を招く可能性があります 。一方、
自己株式を処分する方法は、すでに発行されている株式を交付するため、発行済株式総数は変わりません。そのため、既存株主への影響を抑えたい場合に選択されることがあります。
本記事では、この「自己株式の処分」によってストックオプションの権利行使に対応する場合の会計処理にテーマを絞り、具体的な仕訳例を交えながら、実務担当者の方がつまずきやすいポイントを丁寧に解説していきます。
ストックオプション会計処理の全体像
自己株式処分の話に入る前に、ストックオプションの会計処理の流れを簡単に確認しておきましょう。会計処理は、主に以下の3つのステップで進みます。
ステップ | タイミング | 会計処理の概要 |
1. | 付与時 | 従業員への労働サービスの対価として、ストックオプションの公正な評価額を「株式報酬費用」として費用計上し、同額を純資産の部に「新株予約権」として計上します 。 |
2. | 権利行使時 | 従業員が権利を行使し、払込金を受け取ります。この際に、新株を発行するか、自己株式を処分します。(この記事のメインテーマ) |
3. | 権利失効時 | 権利行使期間が満了するなどして権利が失効した場合、計上していた「新株予約権」を取り崩し、「新株予約権戻入益」という特別利益として処理します 。 |
今回は、この中のステップ2「権利行使時」に焦点を当てます。
【本題】自己株式処分による権利行使時の会計処理
権利行使時、会社は権利者から払込金を受け取り、代わりに自己株式を交付します。この一連の取引を仕訳で見ていきましょう。
会計処理の基本ルール
自己株式を処分する場合の会計処理のポイントは、自己株式の帳簿価額と、権利者から受け取る払込金額+新株予約権の合計額との差額を「自己株式処分差益」または「自己株式処分差損」として処理することです 。
- 自己株式処分差益(得した場合): その他資本剰余金に計上します 。
- 自己株式処分差損(損した場合): その他資本剰余金から減額します 。
重要なのは、この差損益は損益計算書(P/L)には計上されず、純資産の部の「資本剰余金」の増減として処理されるという点です 。これは、自己株式の処分が「資本取引(株主との取引)」と位置づけられているためです。
具体的な仕訳例で理解する
それでは、具体的な数値例を使って仕訳の流れを見ていきましょう。
【設例】
- 当社は、ストックオプションの権利行使1株に対して、自己株式1株を交付する。
- 権利行使時の払込金額(権利行使価額):1株あたり800円
- 交付する自己株式の帳簿価額:1株あたり1,000円
- 権利行使に対応する新株予約権の計上額:1株あたり300円
ステップ1:権利者からの払込金を受け取る
まず、権利者から権利行使価額である800円が払い込まれます。
勘定科目 | 借方 | 貸方 |
現金預金 | 800円 | |
新株予約権 | 300円 | |
自己株式 | 1,000円 | |
自己株式処分差益 | 100円 |
ステップ2:各勘定科目の解説
なぜこのような仕訳になるのか、一つずつ分解して見ていきましょう。
- (借方)現金預金 800円: 権利者から払い込まれた現金です。会社の資産が増加します。
- (借方)新株予約権 300円: これは、ストックオプションを付与した際に費用計上(株式報酬費用)した相手勘定です。権利が行使されたことで、この「新株予約権」という権利は消滅するため、借方に計上して残高をゼロにします 。
- (貸方)自己株式 1,000円: 会社が保有していた自己株式(資産のマイナス項目)を権利者に交付したため、貸方に計上して自己株式を減少させます。金額は、取得したときの価額(帳簿価額)です。
- (貸方)自己株式処分差益 100円: これが今回の核心部分です。計算は以下のようになります。(権利者からの受取額合計)-(交付した自己株式の帳簿価額)(払込金 800円 + 新株予約権 300円)-(自己株式 1,000円) = 100円この100円が、自己株式の処分によって生じた「差益」となり、「その他資本剰余金」として純資産の部に計上されます。
もし「自己株式処分差損」が出た場合は?
仮に、自己株式の帳簿価額が1,200円だったとしましょう。
(払込金 800円 + 新株予約権 300円)-(自己株式 1,200円) = ▲100円
この場合、仕訳は以下のようになります。
勘定科目 | 借方 | 貸方 |
現金預金 | 800円 | |
新株予約権 | 300円 | |
自己株式処分差損 | 100円 | |
自己株式 | 1,200円 |
この「自己株式処分差損」100円は、「その他資本剰余金」のマイナスとして処理されます。もし、その他資本剰余金の残高がマイナスになる場合は、会計期末にそのマイナス分を「その他利益剰余金(繰越利益剰余金)」から減額します 。
実務上の重要ポイント:会計と税務の違い
ここで、実務担当者の方が特に注意すべき点があります。それは、会計上の処理と税務上の処理は必ずしも一致しないということです。
項目 | 会計上の処理 | 税務上の処理(税制非適格の場合) |
費用計上 | 付与時に「株式報酬費用」として費用計上(期間按分) | 権利行使時に、権利行使時の株価と権利行使価額の差額(経済的利益)が給与所得とみなされ、その時点で損金算入が認められる 。 |
自己株式処分差損益 | 資本取引のため、損益計算書には影響しない(課税対象外) | 資本等取引に該当するため、益金・損金のいずれにも算入されない。 |
特に重要なのは、税制非適格ストックオプションの場合、会計上は付与時に費用計上しますが、税務上は権利行使時に損金算入となる点です。このタイミングのズレは、税効果会計の対象となります。
一方で、税制適格ストックオプションの場合は、権利行使時に従業員側で給与課税が発生しないため、法人側での損金算入は認められません 。
このように、ストックオプションの種類によって税務上の取り扱いが大きく異なるため、専門家である税理士に必ず確認しながら進めることが不可欠です。
【参照情報】
- 会計基準: 企業会計基準第8号「ストック・オプション等に関する会計基準」(企業会計基準委員会)
- 会社法: 新株予約権に関する規定(e-Gov法令検索:会社法 第238条など)
- 税務: ストックオプション税制について(国税庁)
まとめ:正確な会計処理で健全な資本政策を
今回は、自己株式処分によるストックオプションの会計処理に絞って解説しました。
- 自己株式の処分は、発行済株式総数を変えずにストックオプションに対応できる方法である。
- 会計処理の鍵は「自己株式処分差損益」であり、これは資本剰余金の増減として処理される。
- 損益計算書には影響しない「資本取引」であることを理解することが重要。
- 会計上の費用計上タイミングと、税務上の損金算入タイミングは異なるため、税効果会計の考慮が必要。
ストックオプションは、企業の成長を加速させる強力なツールですが、その会計・税務処理は複雑です。特に自己株式の取り扱いは、資本政策の根幹に関わる重要な論点です。本記事が、経営者や実務担当者の皆さまの正確な実務遂行の一助となれば幸いです。
よくある質問(Q&A)
自己株式型ストックオプションの最大のメリットは何ですか?
最大のメリットは、新株発行を伴わないため、既存株主の持分が希薄化(ダイリューション)しない点です。これにより、1株当たりの価値を維持しながら従業員へのインセンティブを付与できます。ただし、インセンティブの原資となる自己株式を取得するためには、市場からの買い戻しなどに自己資金が必要となる点がデメリットです 。
権利行使時、新株発行型と自己株式型で会計処理はどう違いますか?
新株発行型では、権利行使価格の払込額と、費用計上されてきた新株予約権の簿価の合計額が「資本金」および「資本準備金」として計上されます 。一方、自己株式型では、自己株式を処分(交付)する会計処理となり、払込額等と自己株式の帳簿価額との差額は、損益計算書を経由せず「自己株式処分差益」または「自己株式処分差損」として純資産の部の「その他資本剰余金」で直接処理される点が大きく異なります 。
従業員が権利行使せずに退職した場合、会計処理はどうなりますか?
権利確定条件を満たさずに退職するなどして権利が失効した場合、それまでに「株式報酬費用」として費用計上してきた金額のうち、失効分に対応する額を「新株予約権戻入益」という勘定科目で特別利益として計上します 。これは、過去の会計期間で費用として認識したものの、結果的に従業員への報酬支払いが不要となったため、その費用を取り消し、利益として戻し入れる会計処理です。
ここでは、あくまで私個人の視点から、皆様のご参考としていくつかの書籍を挙げさせていただきます。