株式上場(IPO)を実現するためには、証券取引所が定める厳格な「上場審査」をクリアしなければなりません。この審査は、いわば上場企業になるための「卒業試験」のようなものです。
そして、この試験は大きく2つの科目から構成されています。それが、「形式基準(けいしききじゅん)」と「実質基準(じっしつきじゅん)」です。
多くの経営者が、株主数や利益といった数字の基準、すなわち「形式基準」に目を奪われがちです。しかし、実は上場準備の本質であり、審査の本当の山場は「実質基準」にあります。
今回は、この二大試験の本質を解き明かし、貴社が上場というゴールにたどり着くために、今から何をすべきかを解説します。
科目1:足切りラインの「形式基準」- 数値で示される受験資格
形式基準は、上場企業としての最低限の「体裁」や「規模」を、客観的な数値で示したものです。これは、いわば試験の「足切りライン」。この基準をクリアしなければ、そもそも審査の土俵に上がることすらできません。
ここでは、多くのスタートアップや成長企業が目指す東京証券取引所グロース市場の形式基準を例に見てみましょう。
【東証グロース市場の主な形式基準】
項目 | 基準 | 概要 |
株主数 | 150人以上 | 上場時までに、150人以上の株主がいること。 |
流通株式数 | 1,000単位以上 | 市場で売買される可能性のある株式が1,000単位(10万株)以上あること。 |
流通株式時価総額 | 5億円以上 | 上記の流通株式の時価総額が5億円以上あること。 |
流通株式比率 | 25%以上 | 発行済株式全体のうち、流通株式が占める割合が25%以上あること。 |
純資産の額 | 正であること | 会社の財産が負債を上回っていること(純資産がプラスであること)。 |
利益の額 | ― | (ポイント) グロース市場では、直近の利益が赤字でも上場可能。 |
事業継続年数 | 1か年以前から | 取締役会を設置して、1年以上継続的に事業を行っていること。 |
※2025年7月時点の主な基準です。最新の情報は必ず取引所のウェブサイトでご確認ください。
形式基準のポイント: これらの基準は、いわば「アプリケーションフォームの必須項目」です。数字で明確に示されているため、達成すべきゴールは非常にクリアです。しかし、これをクリアしたからといって上場できるわけでは決してありません。それは、次の「実質基準」という本試験への挑戦権を得たに過ぎないのです。
科目2:上場の本質「実質基準」- 企業の"質"が問われる面接・論文試験
形式基準が「会社の規模」を測る試験なら、実質基準は「会社の中身・質」を問う試験です。こちらは数値では測れず、「上場企業としてふさわしい会社か、投資家を保護できる会社か」という観点から、総合的に評価されます。いわば、「面接・論文試験」であり、上場審査の核心部分です。
審査官(取引所や主幹事証券会社)は、以下の5つの視点で会社を厳しくチェックします。
1. 企業の継続性及び収益性
「その事業、これからもちゃんと成長して儲かりますか?」
- ビジネスモデルの優位性: 競合他社にない強みは何か?
- 市場の成長性: 事業を展開する市場は今後も伸びるのか?
- 収益の安定性: 安定した収益基盤があり、将来の事業計画に合理性・実現可能性があるか? (グロース市場では赤字上場も可能ですが、その場合、「高い成長可能性」を事業計画で示す必要があります。)
2. 企業経営の健全性
「経営者は信頼できる人物で、クリーンな経営をしていますか?」
- 経営者の資質: 経営者が事業内容を熟知し、高い倫理観を持っているか。
- 関連当事者との関係: 役員やその親族との不透明な取引(利益相反取引)がないか。
- 反社会的勢力との関係遮断: 反社会的勢力との関与を排除する体制が整備・運用されているか。
3. コーポレート・ガバナンス及び内部管理体制の有効性
「会社を適切に管理・運営する仕組みが機能していますか?」
- 取締役会の機能: 社外取締役などが経営を客観的に監督しているか。
- 内部牽制: 監査役や内部監査室が正しく機能し、不正を防止する体制があるか。
- 規程・マニュアルの整備: 業務が個人の属人的なスキルに依存せず、ルールに基づいて行われているか。
これは実質基準の中でも最重要項目の一つです。 この体制構築には数年単位の時間がかかります。
4. 企業内容等の開示の適正性
「投資家に対して、正確な情報をタイムリーに提供できますか?」
- 開示体制の整備: 決算情報や重要事実を、迅速かつ正確に開示するための社内体制が整っているか。
- 経理機能の独立性: 経理部門が適切に機能し、経営者から独立して正しい会計処理を行えるか。
5. その他(投資者保護)
「その他、投資家を裏切るような問題はありませんね?」
- 上記の項目に含まれない、投資家保護の観点から問題となる事項がないかを総合的に判断されます。
まとめ:「形式」と「実質」は表裏一体
ここまで見てきたように、上場準備とは、単に数字上の目標(形式基準)をクリアする作業ではありません。
形式基準 | 実質基準 | |
性質 | 定量的・客観的 | 定性的・総合的 |
例えるなら | アプリケーションフォーム(受験資格) | 面接・論文試験(本試験) |
評価の視点 | 会社の「規模」「体裁」 | 会社の「中身」「質」「将来性」 |
対策 | 数値目標の達成 | 仕組みの構築と運用実績 |
上場準備の本質は、実質基準で問われる「上場企業にふさわしい、信頼される会社」へと、自社を根本から変革していくプロセスそのものにあります。そして、強固な内部管理体制(実質基準)を構築して初めて、正確な数値(形式基準)を報告することが可能になるのです。両者はまさしく表裏一体の関係にあります。
経営者の皆様、そして上場準備担当者の皆様。目先の株主数や時価総額も大切ですが、それ以上に、会社の根幹を成す「ガバナンス」や「管理体制」の構築に、ぜひ早期から取り組んでください。その地道な努力こそが、厳しい上場審査を突破し、投資家から長く愛される企業となるための唯一の道なのです。