はじめに:デジタルコンプライアンスの新時代 - 2024年義務化への対応
2024年1月1日より、改正された電子帳簿保存法が完全施行され、多くの事業者様から対応に関する不安や混乱の声が寄せられています 。この法改正は、単なる手続きの変更ではなく、日本の経理業務におけるデジタル化の新たな時代の幕開けを意味します。本記事では、公認会計士の視点から、この複雑に見える制度を解きほぐし、経営者およびバックオフィス責任者の皆様が自信を持って対応できるよう、明確かつ実践的なロードマップを提示します。
電子帳簿保存法の根底にある目的は、情報化社会への対応です。具体的には、国税関係帳簿書類の保存に係る納税者の負担を軽減し、業務効率を向上させること、そして同時に、電子データの適正な保存を通じて国税の納税義務の履行を確保することにあります 。ペーパーレス化を推進することで、物理的な保管スペースやコストを削減し、より迅速な情報検索を可能にすることが期待されています 。
しかし、制度の全体像が複雑であるため、「結局、全事業者は何をどこまでやれば義務を果たしたことになるのか」という点が最も大きな懸念事項となっています。本記事の核心は、この問いに明確に答えることです。結論から申し上げると、ほとんどの事業者にとって法的に対応が必須となるのは、制度の3つの区分のうち、たった一つ、「電子取引データの保存」です。本稿では、この最重要点に焦点を当て、最低限やるべきこと、そして現時点では対応が任意である「やらなくて良いこと」を徹底的に解説します。
第1章:電子保存の3つの柱:任意と義務の区分を解明する
改正電子帳簿保存法への対応を検討する際、多くの事業者が直面する最初の混乱は、制度が3つの異なる保存区分で構成されていることに起因します。多くの経営者や担当者が、「すべての紙の書類をスキャンしなければならないのか」「会計ソフトを特定の要件を満たすものに買い替えなければならないのか」といった誤解を抱いています。このセクションでは、これら3つの区分を明確に定義し、どれが「義務」でどれが「任意」なのかを徹底的に整理します。この区別を理解することが、適切な対応への第一歩です。
1.1: 【任意】電子帳簿等保存
まず初めに、完全に任意である「電子帳簿等保存」について解説します。
これは、事業者が会計ソフトや販売管理システムなどを用いて、最初から一貫して電子的に作成した国税関係帳簿(仕訳帳、総勘定元帳など)や国税関係書類(貸借対照表、損益計算書、自社発行の請求書の控えなど)を、紙に出力することなく電子データのまま保存することを認める制度です 。この規定は、電子帳簿保存法第4条第1項に基づいています 。
この制度の対象者は、経理業務の完全なペーパーレス化を目指し、業務効率を抜本的に改善したいと考える事業者です。例えば、会計ソフトで作成した総勘定元帳を、従来のように紙に印刷してファイルに綴じるのではなく、ハードディスクやクラウドストレージ上に電子ファイルのまま保存することが可能になります 。
最も重要なポイントは、この対応が完全に任意であるという点です。法律は、事業者に会計帳簿の電子保存を強制していません。もし企業が従来通り、会計ソフトで作成した帳簿を紙に印刷して7年間保存する方法を継続したいのであれば、それは依然として合法的な方法として認められています。
国税庁は、この電子帳簿等保存の導入を強制するのではなく、むしろ奨励する立場を取っています。その証拠に、「優良な電子帳簿」という、より厳格な要件を満たして帳簿を保存する事業者に対しては、税務上のインセンティブが設けられています。具体的には、その帳簿に関連して申告漏れが発覚した場合でも、過少申告加算税が5%軽減されるという措置です 。この制度設計は、高いレベルの内部統制を構築し、積極的にデジタル化へ投資する企業を優遇する一方で、すべての企業に一律で高いハードルを課すことを避けるという、政策的な意図を反映しています。したがって、ほとんどの事業者にとって、「やらなくて良いこと」の一つは、この「優良な電子帳簿」の複雑な要件について、現時点では過度に心配する必要はないということです。
1.2: 【任意】スキャナ保存
次に、これもまた任意である「スキャナ保存」です。
スキャナ保存とは、取引先から受け取った紙の請求書や領収書、あるいは自社で作成して相手に渡した契約書の控えといった紙の書類を、スキャナやスマートフォン、デジタルカメラで読み取って画像データとして保存する制度です 。一定の要件を満たしてスキャナ保存を行えば、元の紙の書類を破棄することが可能になります。この規定は、電子帳簿保存法第4条第3項に基づいています 。
この制度は、オフィス内の紙の書類を削減し、物理的な保管スペースの問題を解決したい事業者にとって非常に有効な選択肢です。倉庫代の削減や、書類検索の効率化に直結します。
しかし、これも「電子帳簿等保存」と同様に、完全に任意の制度です。法律は、受け取った紙の請求書や領収書をスキャンして電子化することを一切義務付けていません。事業者は、これまで通り、受け取った紙の書類を原本のままファイルし、法定期間(原則7年間)保存し続けることができます 。スキャナ保存は、あくまで紙での保存に代わる、法的に認められた代替手段に過ぎません。
ただし注意点として、もし事業者が任意でスキャナ保存を選択する場合には、法律で定められた要件を遵守する必要があります。これには、一定の解像度(200dpi以上)での読み取り、タイムスタンプの付与(またはそれに代わる措置)、訂正・削除の履歴が確認できるシステムの利用などが含まれます 。これらの要件を満たさずにスキャンしただけでは、税法上の正規の保存書類とは認められないため、安易な導入は禁物です。
1.3: 【義務】電子取引データ保存
最後に、本法改正における唯一かつ最重要の義務、「電子取引データ保存」です。
これは、法人、個人事業主を問わず、所得税および法人税の保存義務者であるすべての事業者が対象となる強制的なルールです 。具体的には、取引情報を電子的な方法でやり取りした場合(これを「電子取引」と呼びます)、その取引情報を紙に出力して保存するのではなく、
受け取ったり交付したりした元の電子データのまま保存しなければならない、というものです 。この義務は、電子帳簿保存法第7条に定められています 。
この改正における最も重大な変更点は、2024年1月1日以降、電子データで受け取った請求書などを紙に印刷して保存するだけでは、法律上の保存義務を果たしたことにはならない、という点です 。必ず、元の電子ファイルを保存しておく必要があります。この「紙への印刷保存の廃止」こそが、すべての事業者が対応を迫られている核心部分です。
では、「電子取引」とは具体的に何を指すのでしょうか。法律(電子帳簿保存法第2条第6号)の定義に基づくと、以下のような日常的な業務がすべて該当します 。
- 取引先からメールに添付されたPDF形式の請求書や領収書を受領するケース
- Amazonや楽天などのECサイトの購入履歴ページから領収書データをダウンロードするケース
- Money Forwardクラウド請求書やfreee会計といったクラウドサービスを通じて請求書を授受するケース
- 企業間の受発注で利用されるEDI(電子データ交換)システムを通じて取引情報をやり取りするケース
- ウェブサイト上で表示される法人クレジットカードの利用明細データをダウンロードするケース
これらの取引は、現代のビジネスにおいてごく当たり前に行われており、したがって、この電子取引データの保存義務は、事実上、ほぼすべての事業者に関係するものであると言えます。
表1:保存区分の概要比較
保存区分 | 法的地位 | 対象書類の例 | 最重要ポイント |
電子帳簿等保存 | 任意 | 会計ソフトで作成した仕訳帳・総勘定元帳、PCで作成した請求書の控え | 自社で電子的に作成した帳簿・書類の電子保存。紙での保存も依然として可能。 |
スキャナ保存 | 任意 | 取引先から紙で受け取った請求書・領収書 | 紙の書類をスキャンして電子保存。原本の紙のまま保存することも可能。 |
電子取引データ保存 | 義務 | メールで受信したPDF請求書、ECサイトからダウンロードした領収書 | 電子的に授受した取引データは、必ず電子データのまま保存する必要がある。 |
この表が示す通り、事業者が直ちに取り組むべきは「電子取引データ保存」への対応です。他の2つは、将来的な業務効率化のための選択肢として検討すれば十分です。
第2章:中核となる義務:電子取引データ保存への実践的ガイド
前セクションで、すべての事業者に課された義務が「電子取引データ保存」であることを明確にしました。このセクションでは、その義務を果たすために具体的に何をすべきか、という「HOW」の部分を掘り下げて解説します。法律が求める要件は、大きく分けて「真実性の確保」と「可視性の確保」の2つです。これらを、高価なシステムを導入せずとも実現可能な、実践的な方法とともに紹介します。
2.1: 要件1:真実性の確保 - データ改ざんの防止
「真実性の確保」とは、保存された電子取引データが、授受された時点から改ざんされていないことを証明するための措置を講じることを意味します 。税務調査において、そのデータが信頼できる証拠であることを示すための重要な要件です。国税庁は、この要件を満たすための方法として4つの選択肢を提示しており、事業者はこのうち
いずれか一つを実施すればよいことになっています 。
- タイムスタンプが付されたデータを受領する 取引先が送信するデータに、予め認定タイムスタンプが付与されているケースです。受け取る側は特別な対応は不要ですが、これは取引先のシステムに依存するため、一般的ではありません。
- データ受領後、速やかにタイムスタンプを付与する 自社で認定タイムスタンプを付与できるシステムを導入し、データを受け取ってから速やか(最長2ヶ月とおおむね7営業日以内)にタイムスタンプを付与する方法です 。確実な方法ですが、タイムスタンプサービスの利用コストが発生します。
- 訂正・削除の事実や履歴が確認できるシステム、または訂正・削除ができないシステムでデータを授受・保存する 多くのクラウド請求書サービスや経費精算システムには、データの訂正や削除を行うと、その操作ログが記録されたり、そもそも一度確定したデータは訂正・削除ができなかったりする機能が備わっています。このようなシステムを利用して取引情報をやり取りし、そのままシステム内に保存する方法です 。システム導入を検討している企業にとっては有力な選択肢です。
- 不当な訂正削除の防止に関する事務処理規程を定め、それに沿った運用を行う これが、多くの事業者、特に中小企業にとって最も現実的で導入しやすい選択肢です。高価なシステム投資を必要とせず、社内ルールを整備・運用することで真実性を確保する方法です 。具体的には、「電子取引データの訂正及び削除の防止に関する事務処理規程」という書類を作成し、その規程に従って経理担当者がデータの保存・管理を行います。この規程には、対象となるデータや責任者、訂正・削除を行う場合の手続きなどを明記します。国税庁のウェブサイトには、この規程のサンプルが公開されており、それを参考に自社の実情に合わせて作成することができます。
この4番目の選択肢が用意されていることは、非常に重要な意味を持ちます。国税当局は、必ずしもすべての事業者に高価なIT投資を強制しようとしているわけではない、というメッセージです。データの完全性を担保するという目的を達成できるのであれば、その手段は技術的なもの(タイムスタンプや特定システム)だけでなく、組織的・人的な管理体制(事務処理規程)でも良い、という柔軟な姿勢を示しています。これにより、予算やIT人材が限られている中小企業でも、コストをかけずに法対応を始めることが可能になっています。
2.2: 要件2:可視性の確保 - 税務調査のための検索可能性の担保
「可視性の確保」とは、保存した電子データを、税務調査などの際に、必要な情報をすぐに見つけ出せる状態にしておくことを意味します 。データがただ保存されているだけでは不十分で、検索可能でなければならない、という要件です。これは、大きく2つの要素から構成されます。
構成要素A: 見読可能装置の備付け これは非常に基本的な要件で、保存した電子データを表示・確認するための環境を整えておくことを指します。具体的には、パソコン、14インチ以上のディスプレイ、プリンターといった機器と、それらの操作マニュアルを備え付けておく必要があります 。これにより、税務調査官が必要なデータをその場で確認したり、書面で出力したりできるようになります。
構成要素B: 検索機能の確保 こちらが可視性の確保における中核的な要件です。保存した電子取引データについて、以下の3つの項目で検索できる機能を確保しなければなりません 。
- 取引年月日
- 取引金額
- 取引先
かつては、日付や金額の範囲を指定して検索できる機能や、2つ以上の項目を組み合わせて検索できる機能も求められていましたが、要件が緩和され、現在は上記の3項目が基本となります 。
この「検索機能の確保」と聞くと、専用の文書管理システムや高機能な会計ソフトの導入が必須だと考えがちですが、必ずしもそうではありません。国税庁も認めている通り、ファイルの管理方法を工夫することで、この要件を満たすことが可能です 。
低コストで実現する検索機能の確保(具体例)
- ファイル名の統一ルール化: 受け取った電子データ(PDFなど)のファイル名を、検索項目を含む統一された形式に変更して保存します。 例:
20241031_株式会社取引先A_110000_請求書.pdf
このように「日付_取引先名_金額_書類の種類」といったルールを定めることで、OSの検索機能を使えば、特定の取引先や日付のデータを簡単に見つけ出すことができます。 - フォルダによる階層管理: 取引先ごと、あるいは年月ごとにフォルダを作成し、関連するファイルを整理して保存します。 例:
共有ドライブ:\電子取引データ\2024年\10月\
- 索引簿(Excelなど)の作成: Excelなどの表計算ソフトで索引簿を作成し、各取引の「日付」「取引先」「金額」と、対応する「ファイル名」を一覧で管理します。Excelのフィルタ機能やソート機能を使えば、特定の条件に合致する取引を瞬時に抽出し、該当ファイルを見つけ出すことができます。
これらの方法は、特別なシステム投資を必要とせず、日々の業務における規律と工夫で対応できるものです。重要なのは、自社で定めたルールを一貫して運用し、税務調査の際に求められた情報を迅速に提示できる体制を構築しておくことです。
第3章:免除と猶予措置の理解:「やらなくて良いこと」の把握
法律には原則があれば、例外や救済措置も存在します。改正電子帳簿保存法も例外ではなく、事業者の負担を軽減するための重要な緩和措置が設けられています。これらの措置を正しく理解することは、過剰な対応や不必要な投資を避け、自社にとって最適なコンプライアンス体制を築く上で不可欠です。このセクションでは、多くの事業者が活用できる可能性のある「検索要件の免除」と「猶予措置」という2つの重要な「やらなくて良いこと」について詳説します。
3.1: 小規模事業者に対する検索要件の免除
前セクションで解説した「検索機能の確保」は、電子取引データ保存における中核的な要件の一つですが、すべての事業者に一律で課されているわけではありません。特定の条件を満たす小規模な事業者については、この要件が免除されます。
- 対象となる事業者: 基準期間(法人の場合は前々事業年度、個人事業主の場合は前々年)の売上高が5,000万円以下の事業者が対象です 。この基準額は、当初検討されていた1,000万円から大幅に引き上げられており、より多くの事業者が対象となるよう配慮された結果です。
- 免除される内容: 上記の条件に該当する事業者は、「取引年月日」「取引金額」「取引先」による検索機能を確保する義務が免除されます。つまり、前述したようなファイル名の統一や索引簿の作成といった、検索性を担保するための作業が不要となります。
- 適用されるための条件: ただし、この免除措置を受けるには、以下の条件を満たす必要があります。それは、税務調査の際に、税務職員から電子取引データのダウンロード(または提示・提出)を求められた場合に、それに応じることができるようにしておくことです 。具体的には、データを日付や取引先ごとに整理して保存しておくなど、求めに応じて速やかに提示できる状態にしておくことが求められます。検索システムは不要ですが、無秩序な保存が許されるわけではない点に注意が必要です。
この免除措置は、特にリソースが限られる小規模事業者にとって、コンプライアンスのハードルを大きく下げるものです。自社が対象となるかどうか、まずは前々期の売上高を確認することが重要です。
3.2: 「相当の理由」がある場合の猶予措置
2024年1月からの完全義務化にあたり、システムの準備が間に合わない、あるいは資金的に困難であるといった事業者の実情を考慮し、非常に重要なセーフティネットとして「猶予措置」が設けられています。これは、2023年末で終了した「宥恕(ゆうじょ)措置」に代わる、より恒久的な救済策です 。
- 猶予措置が適用される場合: 電子取引データの保存要件(真実性の確保と可視性の確保)を満たすことができないことについて、「相当の理由」があると所轄税務署長が認める場合に、これらの保存要件が免除されます。
- 「相当の理由」の具体例: 国税庁は、「相当の理由」について、意図的に広く解釈できる例を示しています。これには、自己都合によるものも含まれます 。
- 電子保存に対応するためのシステムや社内のワークフローの整備が間に合わない。
- システムの導入や運用に必要な資金繰りが困難である。
- 経理担当者の人手不足により、新たな業務フローに対応できない。
- 猶予措置を受けるための2つの必須条件: この猶予措置は、単に「準備ができていない」と主張するだけで適用されるものではありません。この措置の適用を受ける事業者は、税務調査の際に、必ず以下の2つの条件を満たす必要があります 。
- 元の電子取引データのダウンロードの求めに応じること。
- その電子データを整然とした形式及び明瞭な状態で出力した書面の提示・提出の求めに応じること。
この2つの条件は、極めて重要な意味を持ちます。猶予措置は、電子データを保存しなくても良いという免罪符ではありません。あくまで、元の電子データは必ず保存した上で、検索機能などの高度な要件を満たせなくても良い、という位置づけです。したがって、「電子データを受け取って、紙に印刷したから元のデータは削除してよい」という考え方は、猶予措置のもとでも認められません。この措置は、コンプライアンスへの移行期間を事実上提供するものですが、デジタルデータを正本として保存するという大原則からの逸脱を許すものではないのです。
- 事前の申請は不要: この猶予措置を受けるために、事前に税務署へ申請書を提出したり、承認を受けたりする必要はありません 。「相当の理由」があるかどうかの判断は、事後的に、税務調査が行われた際に、調査官によって個別の状況に応じてなされます。
この猶予措置の存在は、準備が間に合わなかった事業者にとって大きな安心材料となります。しかし、それはあくまで一時的な橋渡しであり、恒久的に対応しなくてよいわけではありません。いつまでもこの措置に頼るのではなく、段階的にでも、本来の保存要件を満たす体制を構築していくことが求められます。
第4章:コンプライアンス違反のリスク:事業と税務上の地位を守るために
改正電子帳簿保存法の義務規定を理解した上で、次に関心が高まるのは「もし対応しなかった場合、どのような不利益があるのか」という点です。コンプライアンスの重要性を正しく認識するためには、そのリスクを具体的に把握することが不可欠です。本セクションでは、対応を怠った場合に想定される、青色申告の承認取消しを始めとする具体的なペナルティについて、法律と国税庁の見解に基づき解説します。
4.1: 青色申告承認への脅威
事業者にとって最も深刻なリスクの一つが、青色申告の承認が取り消される可能性です。
- 取消しの根拠: 電子帳簿保存法第7条で義務付けられている電子取引データの保存を、法律の要件に従って行っていない場合、それは法人税法や所得税法が求める帳簿書類の保存義務違反とみなされ、青色申告の承認の取消対象となり得ます 。例えば、電子データで受け取った請求書を印刷して紙で保存し、元のデータを破棄してしまった場合、正規の証憑を保存していないと判断される可能性があります。
- ただし、即時・自動的な取消しではない: ここで重要なのは、違反が発覚すれば即座に、自動的に青色申告が取り消されるわけではないという点です。国税庁が公表している事務運営指針によれば、青色申告の承認取消しは、「違反の程度等を総合勘案の上、真に青色申告書を提出するにふさわしくないと認められるかどうか等を検討した上、その適用を判断」するとされています 。つまり、保存状況の悪質性、改善の可能性、事業者の記帳全体の信頼性などを総合的に見て、個別に判断が下されることになります。例えば、一部の取引データが誤って削除されたといった軽微なミスであれば、直ちに取り消しに至る可能性は低いと考えられますが、組織的にデータを保存していないなど、悪質なケースではそのリスクは高まります。
- 青色申告の承認が取り消された場合の影響: 万が一、青色申告の承認が取り消されると、事業経営に甚大な影響が及びます。具体的には、以下のような税務上の特典がすべて受けられなくなります 。
- 青色申告特別控除(最大65万円)の不適用
- 欠損金(赤字)の繰越控除の不適用
- 少額減価償却資産の特例(30万円未満の資産の一括経費化)の不適用
- 各種の特別償却や税額控除の不適用
これらの優遇措置が失われることは、キャッシュフローに直接的な打撃を与え、企業の存続すら脅かしかねない重大な事態です。
4.2: その他の潜在的な罰則
青色申告の承認取消し以外にも、いくつかのペナルティが想定されます。
- 重加算税の加重措置: スキャナ保存や電子取引データの保存において、意図的なデータの改ざんや隠蔽といった不正行為が発覚し、それに基づいて申告漏れが生じた場合、通常の重加算税(35%または40%)にさらに10%が加重されるという厳しいペナルティが科されます 。これは、デジタルデータの脆弱性を悪用した不正行為に対して、税務当局が極めて厳しい姿勢で臨むことを示すものです。
- 会社法上の過料: 税法上の問題だけでなく、会社法上の責任も問われる可能性があります。会社法第976条は、会計帳簿や事業に関する重要な資料を作成・保存しなかったり、虚偽の記載をしたりした者に対して、100万円以下の過料に処することを定めています 。電子帳簿保存法の要件を満たさないデータ保存は、この会社法の義務違反にも該当する可能性があり、税務とは別の側面からのリスクが存在します。これは、適正な会計記録の保存が、税務コンプライアンスだけでなく、企業のガバナンスそのものに関わる重要事項であることを示唆しています。
これらのリスクを総合的に勘案すると、改正電子帳簿保存法への対応は、単なる事務手続きの変更ではなく、企業の信頼性と持続可能性を左右する経営課題であると認識すべきです。
結論:コンプライアンス遵守への実践的ロードマップ
2024年1月から完全義務化された改正電子帳簿保存法は、多くの事業者にとって対応が急務となる重要な法改正です。しかし、本稿で詳述した通り、その核心はシンプルです。任意である「電子帳簿等保存」や「スキャナ保存」と、義務である「電子取引データ保存」を明確に区別し、まずは後者への対応に集中することが、賢明かつ効率的なアプローチです。
最後に、すべての事業者が今日から取り組むべき「最低限のコンプライアンス」を、具体的なアクションプランとしてまとめます。
- 自社の「電子取引」をすべて洗い出す: まずは、請求書や領収書、その他の取引書類をどのような形で受け取り、または発行しているかを棚卸しします。メールの添付ファイル、ECサイトからのダウンロード、クラウドサービス経由など、電子データでやり取りしている取引をすべて特定します。
- 「印刷して原本は破棄」の習慣を今すぐやめる: これが最も重要な意識改革です。電子データで受け取ったものは、その電子ファイル自体が「原本」です。必ず元のデジタルファイルを、定められた期間(原則7年間)保存する運用に切り替えてください。
- 真実性確保の措置を一つ選択し、実行する: 多くの事業者にとって、最も手軽に始められるのは「事務処理規程」の策定と運用です。国税庁のひな形を参考に自社用のルールを作成し、そのルールに従ってデータを管理する体制を整えましょう。
- デジタルファイルを整理・管理する: 検索要件を満たすため、あるいは猶予措置や免除要件の適用を受けるためにも、保存するファイルは整理されている必要があります。「日付_取引先_金額」といったファイル名のルールを決め、体系的なフォルダ構造で管理することを徹底してください。そして、自社が売上高5,000万円以下の検索要件免除の対象となるかを確認しましょう。
今回の法改正は、短期的には業務プロセスの見直しという負担を伴うかもしれません。しかし、長期的には、ペーパーレス化によるコスト削減、業務効率の向上、そして検索性の高いデータ管理による内部統制の強化といった、多くのメリットをもたらす好機と捉えることができます。
本記事が、皆様の不安を解消し、具体的な第一歩を踏み出すための一助となれば幸いです。しかし、個々の事業の状況によって最適な対応策は異なります。最終的な判断を下す前には、必ず顧問税理士などの専門家にご相談いただき、自社の実情に即した、万全なコンプライアンス戦略を構築されることを強くお勧めします。