目次
はじめに:なぜ今、改めて「監査上の主要な検討事項(KAM)」が重要なのか?
2021年3月期決算からすべての上場企業等に適用が開始された「監査上の主要な検討事項(KAM:Key Audit Matters)」。導入から数年が経過し、KAMは監査報告書における標準的な記載事項として定着しました。当初は「新しい制度にどう対応するか」というコンプライアンスの側面が注目されていましたが、現在、その重要性は新たな次元に入っています。
もはやKAMは、単なる法令遵守のための開示項目ではありません。監査人が、企業の財務諸表を監査する過程で最も注意を払い、最も重要だと判断した事項が記載されるKAMは、その企業の事業内容やリスクを外部の専門家がどう見ているかを示す、非常に価値の高い情報源です。金融庁も、KAMが投資家の意思決定の改善に繋がることを期待しており、その情報価値の向上を求めています 。
つまり、経営者や実務担当者にとって、自社のKAMを深く理解することは、監査人との対話を深め、自社の経営課題を客観的に把握し、ひいてはコーポレートガバナンスを強化するための絶好の機会となるのです。
本記事では、金融庁や日本公認会計士協会が公表している最新の事例分析レポートに基づき、KAMの基礎知識から、最新のトレンド、そして経営に活かすための具体的な視点までを、専門家の立場から平易に解説します。
そもそも「監査上の主要な検討事項(KAM)」とは?【基礎からわかる解説】
KAMの定義と目的 ― 監査の「ブラックボックス」を開く
KAMとは、「監査上の主要な検討事項」のことで、監査人がその年度の財務諸表監査において、職業的専門家として特に重要であると判断した事項を指します 。
従来、監査報告書に記載される監査人の意見は「適正」か「不適正」かといった結論が中心で、どのような点に特に注意を払って監査を進めたのか、そのプロセスは外部から見えにくい「ブラックボックス」でした。この状況を改善し、監査の透明性を高め、監査報告書の情報価値を向上させることを目的に、KAMは導入されました 。
KAMを通じて、監査人が特にどの会計項目にリスクを感じ、どのような監査手続を実施したのかが具体的に開示されることで、投資家をはじめとする財務諸表利用者は、企業の財務状況をより深く理解できるようになります。
KAMに必ず記載される3つの構成要素
監査基準では、KAMとして記載する事項について、以下の3つの要素を必ず含めることが求められています 。
- KAMの内容 何が重要な検討事項なのか、その具体的な内容を記載します。例えば、「のれんの評価」や「工事契約に関する収益認識」といった項目がこれにあたります。
- KAMであると決定した理由 なぜ監査人がその事項を「特に重要」だと判断したのか、その理由を説明します。例えば、「経営者による見積りの不確実性が高く、金額的な重要性も大きいことから判断した」といった背景が記載されます。
- 監査における監査人の対応 その重要事項に対して、監査人が具体的にどのような監査手続を実施したのかを記載します。これはKAMの核心部分であり、監査の深度を示す重要な情報です。例えば、固定資産の減損に関するKAMであれば、「減損の兆候の有無に係る判断の妥当性を評価した」「将来キャッシュ・フロー及び割引率について、不動産評価の専門家を利用して検討した」といった具体的な手続が示されます 。
これらの3要素が揃うことで、財務諸表利用者は監査の核心部分を具体的に理解することができるのです。
【表1】ひと目でわかる!KAMの概要
KAMの全体像を把握するために、主要なポイントを以下の表にまとめました。
項目 | 内容 | 参照法令・基準 |
日本語名称 | 監査上の主要な検討事項 | - |
目的 | 監査の透明性向上、監査報告書の情報価値向上、投資家への情報提供の充実 | 監査基準の改訂に関する意見書(企業会計審議会) |
選定者 | 独立監査人(公認会計士) | 監査基準 |
記載内容 | ①特に重要と判断した事項の内容、②その決定理由、③監査上の対応 | 監査基準報告書701「独立監査人の監査報告書における監査上の主要な検討事項の報告」 |
適用開始 | 2021年3月31日以後終了する事業年度に係る監査から強制適用 | 改訂監査基準 |
根拠情報源 | e-Gov法令検索、日本公認会計士協会ウェブサイト | - |
業種別に見るKAMの頻出テーマと監査人の着眼点
KAMとして選定されるテーマは、企業の業種やビジネスモデルが持つ固有のリスクを色濃く反映します。KAMの記載事例を分析すると、特定の業種で特定の項目が頻繁に登場する傾向が見られます。これは偶然ではなく、その業種のビジネスにおいて、会計上の判断が特に難しく、見積りの要素が大きくなる領域が存在するためです。
例えば、建設業では工事の完成までに長期間を要するため、進捗度に応じて収益を認識する「工事契約に関する収益認識」が典型的なKAMとなります。これは、工事原価総額の見積りが将来の利益を大きく左右する不確実性の高い項目だからです 。同様に、大規模な不動産を保有する不動産業では、市況の変動が資産価値に与える影響が大きいため、「固定資産の減損処理」が重要な論点となりやすいのです 。
経営者にとっては、自社の業界で一般的にどのようなKAMが記載されているかを知ることは、自社のリスク管理体制を相対的に評価する上で非常に有益です。以下の表では、業種ごとの代表的なKAMの事例と、その背景にある経営上のリスク、そして監査人がどのような手続でそのリスクにアプローチしているかをまとめました。
【表2】業種別・代表的なKAMの事例とリスク
業種 | 代表的なKAMの事例 | 監査人が特に着目するリスク(経営上の論点) | 監査手続の具体例 |
建設業 | 工事契約に関する収益認識 | 工事原価総額の見積りの不確実性。不採算工事の発生リスク。 | ・実行予算書と原価見積りの照合 ・工事現場の視察による進捗確認 ・見積り変更の妥当性検証 |
不動産業 | 固定資産(賃貸用不動産等)の減損処理 | 将来キャッシュ・フローの見積りの合理性。市場価格の下落リスク。 | ・減損の兆候の有無の検討 ・不動産評価の専門家の利用 ・割引率の妥当性評価 |
製造業 | 棚卸資産の評価 | 技術革新による製品陳腐化リスク。滞留在庫の評価損の妥当性。 | ・実地棚卸の立会 ・長期滞留在庫リストの分析 ・販売実績に基づく正味売却価額の検証 |
情報通信業/小売業 | のれん及び無形資産の減損テスト | 事業計画の実現可能性。将来キャッシュ・フロー予測の主観性。 | ・経営者が作成した事業計画の前提条件の吟味 ・感度分析の実施 ・割引率の妥当性評価 |
経営者・実務担当者必見!KAMから経営課題を読み解く3つの視点
KAMは単に監査報告書を読むだけでなく、それを自社の経営に活かすことで真価を発揮します。ここでは、KAMを経営課題の発見と改善に繋げるための3つの実践的な視点を紹介します。
視点1:「良いKAM」と「悪いKAM(形骸化リスク)」を見抜く
すべてのKAMが等しく価値ある情報を提供しているわけではありません。金融庁の分析レポートでは、KAMの記載が形骸化・骸化するリスクについて警鐘が鳴らされています 。特に注意すべきは、「ボイラープレート化(定型文・紋切り型)」した記載です。
- 悪いKAM(形骸化リスクのある記載) どの会社にも当てはまるような一般的・抽象的な表現に終始し、企業の個別具体的な状況が読み取れない記載です。例えば、「見積りの不確実性が高いため」といった理由だけで、なぜ自社にとって特にその見積りが重要なのかが説明されていないケースがこれに該当します。金融庁は、同一監査法人が担当する別業種の会社でKAMの内容がほぼ同一である事例や、注記情報の単なる再掲に留まっている事例を課題として指摘しています 。
- 良いKAM(情報価値の高い記載) 企業の事業内容やその年度に起こった特有の事象と関連付けて、なぜその事項が重要なのかを具体的に説明している記載です。監査人の対応についても、監査基準の一般的な手続を羅列するのではなく、そのリスクに対してどのような独自の工夫や重点的な検証を行ったかが明確に記述されています。図表を用いるなど、読みやすさを工夫している事例も高く評価されています 。
経営者は、自社の監査報告書のKAMがどちらに近いかを見極める必要があります。もし内容が一般的すぎると感じた場合は、監査人や監査役等との対話を通じて、より個別具体的な記載ができないか議論することが、監査の質の向上にも繋がります。
視点2:自社のKAMを「事業リスクの通知表」として活用する
KAMは、独立した外部の専門家である監査人が、企業の財務報告プロセスにおける最も重要なリスク領域を指摘した「事業リスクの通知表」と捉えることができます。
例えば、自社のKAMとして「棚卸資産の評価」が挙げられたとします。これは単なる会計上の論点ではありません。その背景には、「新製品の投入による旧製品の陳腐化」「需要予測の精度」「サプライチェーンの混乱による滞留在庫の増加」といった、より根源的な経営課題が潜んでいる可能性があります。
経営者は、KAMに記載された項目を起点として、「なぜこの項目が監査人にとって最重要リスクと映ったのか?」と自問自答することが重要です。これにより、自社の内部リスク評価が妥当であったかの検証や、これまで見過ごしていた経営課題の早期発見に繋がります。KAMを会計チームだけの問題とせず、関連する事業部門も巻き込んで議論することで、リスク管理体制や業務プロセスの改善に向けた具体的なアクションプランを策定することが可能になります。
視点3:監査役等との対話を深め、ガバナンスを強化する
KAMは、監査人が決定する前に、その内容について企業の監査役、監査役会、または監査等委員会(以下、「監査役等」)と協議することが義務付けられています 。このプロセスは、コーポレートガバナンスを強化する上で極めて重要です。
従来、経営陣と監査役等、そして監査人の間のコミュニケーションは、形式的なものに留まるケースも少なくありませんでした。しかし、KAMという具体的な「最重要リスク」を議題とすることで、議論は必然的に具体的かつ深くなります。
この仕組みは、経営陣にとって、自社が主要なリスクをどのように認識し、管理しているかを監査役等に明確に説明する良い機会となります。また、監査役等にとっては、経営陣の監督機能を実効的に果たすための重要な情報を得ることができます。さらに、監査人は、経営陣や監査役等との議論を通じて、企業の状況をより深く理解し、監査の質を高めることができます 。
KAMを単なる報告事項として受け流すのではなく、経営陣、監査役等、監査人の三者間での戦略的な対話のツールとして積極的に活用すること。これが、KAMの導入が目指した本来の目的であり、持続的な企業価値向上に繋がるガバナンス体制の構築に不可欠です。
まとめ:KAMを未来の経営に活かすために
KAMの導入から数年が経過し、その役割は「開示義務」から「戦略的ツール」へと進化しています。監査報告書に記載されたKAMは、もはや単なる過去の監査結果の報告ではありません。それは、独立した専門家の目から見た、企業の現在そして未来の経営における最重要課題を示す羅針盤です。
経営者や実務担当者の皆様には、自社のKAMを以下の視点から改めて見つめ直すことを推奨します。
- 批判的に読む:自社のKAMは、企業の個別事情を反映した「良いKAM」か? それとも形骸化した「悪いKAM」ではないか?
- 深く掘り下げる:KAMが示す会計リスクの裏には、どのような事業上の課題が潜んでいるか?
- 対話の起点とする:KAMをテーマに、監査人や監査役等と本質的な議論を行い、ガバナンス強化に繋げているか?
KAMを能動的に読み解き、経営課題の発見と改善に繋げるサイクルを確立すること。それこそが、変化の激しい時代において、企業の透明性と信頼性を高め、持続的な成長を達成するための鍵となるでしょう。
よくある質問(Q&A)
KAM(監査上の主要な検討事項)は、どのように選定されるのですか?
KAMは、監査人が監査役等と協議した事項の中から、特に注意を払った事項を職業的専門家としての判断に基づき決定します。具体的には、重要な虚偽表示リスクが高いと評価した領域や、経営者の重要な見積りを含む会計処理などが選定される傾向にあります。
日本の「KAM」と米国の「CAM(重要な監査上の検討事項)」に違いはありますか?
両者は監査報告書を通じて企業の重要リスク情報を伝える点で類似していますが、準拠する基準が異なります。KAMは国際監査基準(ISA)に基づく一方、CAMは米国公開会社会計監督委員会(PCAOB)の基準に基づきます。概念は似ていますが、選定プロセスや記載内容の範囲に若干の違いがあります。
KAMの項目数が多いと、その会社はリスクが高いということになりますか?
必ずしもそうとは言えません。KAMの項目数は、事業の複雑性、その年度に発生した特有の事象(M&Aなど)、属する業界のリスク特性などに影響されます。項目数そのものよりも、個々のKAMの内容が何であるかを理解することが、企業のリスクを評価する上でより重要です。
引用・参考文献
- 金融庁「監査上の主要な検討事項(KAM)の記載の好事例や課題等」(令和5年2月17日公表資料等)
- 日本公認会計士協会「監査基準報告書701研究文書」シリーズ
- 企業会計審議会「監査基準の改訂に関する意見書」
- e-Gov法令検索(参照法令:金融商品取引法、会社法関連)
ここでは、あくまで私個人の視点から、皆様のご参考として書籍を挙げさせていただきます。