202〇年〇月〇日、待ちに待った上場日。朝9時、証券取引所の鐘が鳴り、自社の株価を示すボードに最初の値段、「初値(はつね)」が灯る。この瞬間は、経営者にとって万感胸に迫るものがあるでしょう。
ところで、この「初値」は一体どのように決まるのでしょうか?また、事前によく耳にする「公募価格」とは何が違うのでしょうか?
このプロセスを理解することは、自社のIPOの成功を測り、ステークホルダーと適切にコミュニケーションをとる上で非常に重要です。今回は、意外と知られていない「公募価格」と「初値」の決まり方について、その全プロセスを分かりやすく解説します。
根本的な違い:「公募価格」と「初値」
まず、この2つの価格の違いを明確にしましょう。これが全ての基本です。
- 公募価格(こうぼかかく)
- 決まるタイミング: 上場日の約1週間前
- 誰が決めるか: 会社と主幹事証券会社が、投資家の需要を調査して決定
- 誰が買う価格か: 抽選などで当選した一部の投資家が、上場前に株式を購入する価格
- 初値(はつね)
- 決まるタイミング: 上場日当日、午前9時以降
- どう決まるか: 証券取引所における市場の買い手と売り手の需給バランス(オークション)で決定
- 誰が買う価格か: 上場後、市場で最初に株式が売買される価格
つまり、「公募価格」は事前販売の価格、「初値」は市場でのデビュー価格と覚えてください。では、それぞれがどのように決まるのか、順を追って見ていきましょう。
Part 1:全ての土台。「公募価格」決定までの4ステップ
公募価格は、主幹事証券会社が中心となり、企業の価値を評価し、投資家の需要を測る科学的なプロセスを経て決定されます。
ステップ1:企業の価値を算定 ⇒ 「想定発行価格」の決定
まず、主幹事証券会社が企業の価値を客観的に評価し、「1株あたり、このくらいの価値だろう」という「想定発行価格」を算出します。この評価には、主に以下の2つの手法が用いられます。
- 類似会社比較法(マルチプル法): 事業内容が似ている上場企業の株価が、利益(PER)や純資産(PBR)の何倍で評価されているかを分析し、自社に当てはめて株価を算出します。
- DCF(ディスカウンテッド・キャッシュ・フロー)法: 会社が将来生み出すキャッシュフローを予測し、それを現在の価値に割り引いて企業価値と株価を算出します。
会社側と証券会社は、この評価を基に、事業の成長性(エクイティ・ストーリー)を加味しながら協議を重ね、想定発行価格を決定します。
ステップ2:投資家へのヒアリング準備 ⇒ 「仮条件」の設定
次に、ステップ1で算出した想定発行価格を基に、「仮条件(かりじょうけん)」と呼ばれる価格帯(例:1,200円~1,400円)を設定します。これは、投資家に「このくらいの価格帯で考えていますが、どう思いますか?」と、需要をヒアリングするためのレンジです。
ステップ3:投資家による需要調査 ⇒ 「ブックビルディング」
ここからが本番です。主幹事証券会社は、国内外の機関投資家(生命保険会社や投資信託など)に対して、企業の事業内容や成長戦略を説明するロードショー(説明会)を行います。
投資家たちはその説明を聞いた上で、「何株を、いくらで買いたいか」を仮条件の範囲内で「需要申告(じゅようしんこく)」します。このプロセスを「ブックビルディング」と呼びます。
このブックビルディングで、どれだけ多くの投資家から、どれだけ高い価格での需要が集まるかが、その後の価格決定の鍵を握ります。
ステップ4:需要の集計と最終決定 ⇒ 「公募価格」の確定
ブックビルディング期間が終了すると、証券会社は集まった需要を分析します。
- 需要が強い場合: 多くの投資家が仮条件の上限価格か、それ以上で申告している。
- 需要が弱い場合: 申告数が少ない、または下限価格での申告が多い。
この結果を踏まえ、会社と主幹事証券会社が最終協議を行い、1つの「公募価格」を正式に決定します。 需要が強ければ仮条件の上限で、時には上限を超える価格で決まることもあります。この価格で、当選した投資家に株式が販売されます。
Part 2:上場日当日!「初値」決定のメカニズム
公募価格が決まり、いよいよ迎えた上場日。ここからは、証券取引所が舞台となります。初値は、「板寄せ(いたよせ)」というオークション方式で決まります。
メカニズム:「買い」と「売り」のバランス探し
上場日の取引開始(午前9時)前から、市場ではこんな注文が出され始めます。
- 買い注文: 公募価格で株を買えなかった投資家たちが、「この値段で買いたい」と注文を入れる。
- 売り注文: 公募価格で株を手に入れた投資家たちが、「この値段で売りたい」と注文を入れる。
証券取引所のシステムは、午前9時の取引開始時点で出されている全ての「買い注文」と「売り注文」を集計し、最も多くの株数が売買できる価格を自動的に探し出します。その価格こそが、その株式の記念すべき「初値」となるのです。
なぜ初値は公募価格より高騰することがあるのか?
よく「初値が公募価格の2倍になった」といったニュースを聞きますが、これはなぜ起こるのでしょうか?
答えは単純な需要と供給のバランスです。
- 供給(売り手): 公募で株を手に入れた投資家(限定数)
- 需要(買い手): 公募で外れた投資家 + 新たに魅力を感じた全ての市場参加者
一般的に、人気のあるIPOでは、上場前に株を手に入れられる供給量に対して、上場後に買いたいという需要量が圧倒的に上回ります。「売りたい人」より「買いたい人」が多ければ多いほど、両者のバランスが取れる価格はどんどん吊り上がっていくため、初値が公募価格を大きく上回るのです。
ちなみに、買い注文が殺到して、売り注文が極端に少ない場合、午前9時時点では値段が付きません。その場合、取引所は「気配値(けはいね)」を徐々に切り上げながら、売買が成立する価格を探していきます。これが、人気IPOの株価がなかなか決まらない理由です。
まとめ:経営者がコントロールできること、できないこと
ここまで見てきたように、「公募価格」と「初値」の決まり方は全く異なります。
- 公募価格: 企業の価値と投資家の需要を基に、人為的に決定される。
- 初値: 市場参加者の人気(需給)によって、市場原理で自然に決定される。
経営者として、上場当日の初値を直接コントロールすることはできません。しかし、初値の動向に大きな影響を与える公募価格の決定プロセスには、深く関与することができます。
投資家を惹きつける魅力的な成長ストーリーを構築し、主幹事証券会社と二人三脚で自社の価値を訴求し、ブックビルディングで高い需要を集めること。これこそが、力強い初値を形成し、IPOを成功に導くための最良の戦略なのです。
初値はゴールではなく、公開企業としての長い旅の始まりに過ぎません。しかし、その始まりを力強く飾るためにも、ぜひこの価格決定のメカニズムを深く理解しておきましょう。