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株式上場(IPO)の実務(21)IPOの礎を築く「N-2期」の規程整備。単なる“書類作り”で終わらせないための実践ガイド

公認会計士として多くのIPO準備企業を支援する中で、経営者の皆様がしばしばその重要性を見過ごしがちな、しかしIPOの成否を根底から左右するプロセスがあります。それが、N-2期(申請事業年度の2期前)における『規程の整備・運用』です。

「規程作りは、面倒な書類仕事だ」 「立派な規程集を揃えれば、それで終わりだろう」

もし、そうお考えであれば、その認識は根本的に改める必要があります。社内規程は、本棚に飾るためのものではありません。それは、会社の意思決定と業務執行を司る「法律」であり、組織を動かす「オペレーティング・システム(OS)」そのものです。

今回は、なぜこの規程整備が法的に必須なのか、そして監査法人が真に評価する「運用」とは何か、その本質と実践策を解説します。

規程整備の法的背景:なぜ「社内ルール」の文書化が必須なのか

そもそも、なぜこれほどまでに規程の整備が求められるのでしょうか。それは、上場企業には、適切な内部統制システムを構築し、運用することが法律で義務付けられているからです。

  • 会社法上の要請 取締役会は、会社の業務の適正を確保するための体制、いわゆる内部統制システムの基本方針を決定する義務があります(会社法第362条第4項第6号)。規程は、この基本方針を具現化する骨格となります。
  • 金融商品取引法上の要請(J-SOX対応) これが最も直接的な理由です。上場企業は、財務報告に係る内部統制について、経営者自らがその有効性を評価した「内部統制報告書」を提出し、さらにその報告書が正しいかどうかを公認会計士または監査法人の監査を受ける義務があります(金融商品取引法第24条の4の4)。

この「内部統制報告書」の監査において、「文書化された社内規程」は、内部統制が存在し、機能していることを証明するための、客観的で最も重要な証拠(エビデンス)となるのです。規程なくして、内部統制の有効性を証明することは不可能です。

N-2期に整備すべき「基本規程」リスト

では、具体的にどのような規程を整備すべきでしょうか。会社の規模や業種によって異なりますが、IPO準備において、最低限N-2期中に整備・運用を開始すべき基本的な規程は以下の通りです。

【組織・運営の基本規程】

  • 組織規程: 会社の組織構造、各部門の役割と責任を定めます。
  • 職務権限規程: 誰に、どこまでの決裁権限があるのかを明確にします。
  • 取締役会規程: 取締役会の運営ルールを定めます。
  • 監査役会規程: 監査役会の運営ルールを定めます。

【業務執行に関する主要規程】

  • 販売管理規程: 見積りから受注、納品、請求、入金までの販売プロセスを定めます。
  • 購買管理規程: 発注から検収、支払までの購買プロセスを定めます。
  • 経理規程: 日々の経理処理から決算までの会計ルールを定めます。

【ガバナンス・リスク管理規程】

  • コンプライアンス規程: 法令遵守の基本方針と体制を定めます。
  • リスク管理規程: 会社のリスクを識別・評価・対応するプロセスを定めます。
  • 内部監査規程: 内部監査の目的、権限、手続きを定めます。

最重要ポイント:「整備」から「運用」へ。運用実績の作り方

ここが、本記事でお伝えしたい最も重要なメッセージです。

規程集が立派なファイルに綴じられ、本棚に飾られているだけでは、監査における評価はゼロです。私達、会計士が監査で確認するのは、その規程が「実際に、日々、運用されている証拠(エビデンス)」に他なりません。

そして、この「運用されている」と認められるためには、最低でも1年間の運用実績が必要です。だからこそ、N-2期の期首から、全ての業務を新しい規程に従って行う必要があるのです。

では、「運用されている証拠」とは何でしょうか。

  • 取締役会規程の証拠は? → 規程に則って招集され、開催された取締役会の議事録です。決議方法や報告事項が規程通りであることが重要です。
  • 職務権限規程の証拠は? → 規程で定められた決裁権限者が、正しく承認印を押した稟議書(りんぎしょ)です。
  • 販売管理規程の証拠は? → 適切な承認を得た見積書や、規程に沿ってレビューされた契約書です。
  • コンプライアンス規程の証拠は? → 従業員に対して行われたコンプライアンス研修の実施記録や、参加者の署名です。

N-2期の期首から、これら全ての「証拠」を、一つひとつ、丁寧に、かつ網羅的に積み上げていく。この地道な作業こそが、規程の「運用」に他なりません。

最後に

規程の整備は、IPOという大海原へ乗り出すための「船の設計図」を完成させる作業です。そしてN-2期の1年間は、その設計図通りに船が安全に動くことを証明する、極めて重要な「試験航海」の期間なのです。

経営者の皆様は、この「社内ルールの構築」を、単なるコストや管理部門への負担と捉えないでください。これは、会社の成長を支え、不測のリスクから組織を守るための、最も重要な経営基盤への投資です。

そして実務担当者の皆様は、ぜひ監査法人やコンサルタントをパートナーとして、この重要な一年間の「航海日誌(運用実績)」を、着実に記録していってください。その積み重ねが、必ずや上場という港への確実な道筋となるはずです。

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