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社長の交代、いつかは来るその日に備える「事業承承継税制」特例措置の賢い使い方

はじめに:すべての中小企業が直面する「静かなる危機」と、その究極の解決策

日本経済の屋台骨を支える多くの中小企業が、今、一つの「静かなる危機」に直面しています。それは、業績不振によるものではなく、事業承継という避けては通れない経営課題です。特に、後継者が先代経営者から自社の株式を引き継ぐ際に課される高額な相続税や贈与税は、事業の存続そのものを脅かすほどの大きな障壁となり得ます 。納税資金を捻出するために、会社の資産や事業そのものを売却せざるを得ないケースも少なくありません。  

この深刻な問題に対する国の切り札として用意されたのが、「事業承継税制」です。中でも、2018年度の税制改正で創設された10年間限定の「特例措置」は、この問題を根本から解決しうる画期的な制度として注目されています 。これは単なる節税策ではなく、価値ある事業を次世代へ円滑に引き継ぎ、日本経済の活力を維持するための戦略的なツールです。  

しかし、この類まれな機会には限りがあります。特例措置を活用するための重要な手続きには、厳格な期限が設けられており、その期限は刻一刻と迫っています。本稿では、経営者や実務担当者の皆様がこの制度を深く理解し、賢明な判断を下せるよう、その仕組みからメリット、リスク、そして具体的な活用戦略までを、専門家の視点から平易に、かつ具体的に解説します 。  

第1章:「事業承継税制の特例措置」とは?常識を覆す画期的な制度の仕組み

事業承継税制(特例措置)の核心は、後継者が引き継ぐ非上場株式にかかる贈与税・相続税の納税を、その場で求めない「納税猶予」という仕組みにあります。具体的には、承継時に発生する税額の100%が猶予され、後継者は税負担なく経営のバトンを受け取ることが可能になります 。  

そして、この制度が真に画期的である理由は、単なる「猶予」に留まらない点です。猶予された税金は、特定の要件を満たすことで最終的に「免除」されます。最も一般的な免除事由は、後継者が死亡した場合、または後継者がさらに次の後継者へ、同様にこの事業承継税制を適用して株式を承継した場合です 。つまり、事業が継続される限り、承継に伴う税負担が実質的にゼロになる可能性があるのです。  

この特例措置がどれほど優れているかを理解するために、従来から存在する「一般措置」と比較してみましょう。

表1:特例措置と一般措置の比較

項目特例措置一般措置解説
適用期限2027年12月31日までの贈与・相続  期限なし特例措置は10年間限定の時限的な制度です。
対象株式数全株式  発行済株式総数の最大3分の2特例措置は会社の価値の100%をカバーし、課税対象となる部分を残しません。
納税猶予割合贈与税・相続税ともに100%  贈与税100%、相続税80%一般措置では相続税の2割は納税が必要ですが、特例措置は完全な猶予を実現します。
後継者の人数最大3名  原則1名兄弟での共同経営など、現代的な経営体制に柔軟に対応可能です。
雇用確保要件実質撤廃(弾力化)  承継後5年間、平均8割維持経営の大きな足かせであった雇用維持義務が大幅に緩和されています。
事前の計画特例承継計画の提出が必須  不要特例措置を利用するための「入場券」であり、厳格な提出期限が定められています。

この比較表から明らかなように、特例措置は対象範囲、猶予割合、柔軟性の全ての面で一般措置を圧倒しています。この優位性を理解することが、迅速な行動を促す第一歩となります。

第2章:計り知れないメリット:なぜこの制度を検討すべきなのか

特例措置がもたらすメリットは、単なる税負担の軽減に留まりません。企業の持続的成長を支える、より深く戦略的な利点が存在します。

Benefit 1: 税負担ゼロでの事業承継の実現

最大のメリットは、後継者が納税資金の心配をすることなく、事業そのものに集中できる環境が整うことです。株式承継時の税負担が実質ゼロになることで、後継者は個人資産の売却や会社からの多額の借り入れといった財務的負担から解放されます 。これにより、会社の内部留保や資本を事業投資や運転資金として有効活用でき、承継後も安定した経営基盤を維持することが可能になります。  

Benefit 2: 複数後継者への対応

現代の事業承継は、必ずしも一人の子供に引き継がれるとは限りません。兄弟姉妹による共同経営や、親族と有能な役員が共に経営を担うケースも増えています。特例措置では、最大3名の後継者が納税猶予の対象となるため、こうした多様な承継ニーズに柔軟に対応できます 。これにより、最適な経営体制を自由に構築することが可能となります。  

Benefit 3: 承継後の経営環境悪化にも配慮したセーフティネット

事業承継後の経営が常に順風満帆とは限りません。万が一、業績が悪化し、承継時よりも低い株価で会社を売却したり、解散したりせざるを得なくなった場合、この制度は強力なセーフティネットとして機能します。具体的には、猶予されていた税額が、売却時や解散時の低い評価額を基に再計算され、承継時の評価額との差額分は免除されるのです 。これにより、後継者が過去のピーク時の高い株価に基づく過大な税金に苦しむリスクを回避できます。  

Benefit 4: 雇用の維持義務からの解放

一般措置における「承継後5年間、従業員の8割以上を維持する」という要件は、景気変動の激しい現代において非常に厳しい制約でした。特例措置ではこの要件が「弾力化」され、実質的に撤廃されています 。もしやむを得ない経営上の理由(景気後退など)で雇用を維持できなくなった場合でも、認定経営革新等支援機関の指導・助言を受けた理由書を提出することで、納税猶予を継続することが可能です 。  

この要件緩和は、単なる制度改正以上の意味を持ちます。それは、国の政策が、硬直的なルールの遵守を求める姿勢から、企業の存続を最優先する実用的な姿勢へと転換したことの現れです。これにより、経営者は「納税猶予の打ち切り」を恐れて不合理な雇用維持を続けるというジレンマから解放され、経済合理性に基づいた経営判断を下せるようになります。

第3章:迷宮を乗り越える:厳格な要件と重大なリスク

これほど強力な制度であるからこそ、その利用には厳格なルールが定められており、安易な利用は大きなリスクを伴います。ここでは、制度の光と影を冷静に分析し、建設的な注意喚起を行います。

Subsection 3.1: 避けては通れない適用要件

本制度の適用を受けるためには、会社、先代経営者、後継者の三者が、それぞれ定められた要件をクリアする必要があります。これらの要件は主に「中小企業における経営の承継の円滑化に関する法律」(経営承継円滑化法)に基づいています 。  

  • 会社の要件: 非上場の「中小企業者」であること。また、株式や不動産などを保有するだけの資産管理会社や、風俗関連事業を営む会社は対象外です 。  
  • 先代経営者の要件: 会社の代表者であった実績があり、贈与・相続の直前において、親族等を含めた同族関係者内で過半数の議決権を保有し、かつ筆頭株主であったことが求められます 。生前贈与の場合は、贈与時に代表者を退任する必要があります(ただし、有給の役員として会社に残ることは可能です) 。  
  • 後継者の要件: 贈与時に18歳以上であること。贈与の場合はその時点で、相続の場合は相続開始から5か月以内に会社の代表者に就任すること。そして、株式承継後に同族関係者内で筆頭株主となることが必要です 。なお、従来、贈与の場合は「贈与日までに役員として3年以上の経験」が必要でしたが、2025年1月1日以降の贈与からは「贈与の直前において役員であること」に緩和され、より利用しやすくなりました 。  

Subsection 3.2: 終わらない義務:承継後の継続的な報告

納税猶予が開始された後も、義務は終わりません。要件を継続して満たしていることを証明するため、定期的な報告が必須となります。

  • 承継後5年間は、毎年1回、都道府県に対して「年次報告書」を提出します 。  
  • 税務署に対しては、承継後5年間は毎年1回、その後は3年に1回、「継続届出書」を提出し続ける必要があります 。  

これらの報告を一日でも怠れば、納税猶予が取り消される可能性があるため、長期にわたる事務的な負担は決して軽視できません 。  

Subsection 3.3: 最大のリスク「納税猶予の取消」とその結末

この制度における最大のリスクは、納税猶予が取り消される「取消事由」に該当してしまうことです。猶予されている税金は、免除が確定するまで、いわば「眠っている」状態に過ぎません。

主な取消事由

  • 後継者が、承継後5年以内に代表者を退任する(重篤な疾病などやむを得ない理由を除く) 。  
  • 後継者が、猶予の対象となっている株式を1株でも売却・譲渡する 。  
  • 同族関係者グループの議決権割合が50%を下回る 。  
  • 会社が中小企業者に該当しなくなる、または資産管理会社に該当する 。  
  • 定められた定期報告を怠る 。  

もし取消事由に該当した場合、その瞬間に猶予されていた贈与税・相続税の全額と、当初の納付期限からの期間に応じた利子税を、一括で納付しなければなりません 。これは企業にとって、予期せぬ壊滅的なキャッシュアウトとなりかねません。  

この厳格なルールは、本制度が単なる税制優遇ではなく、国との長期的な約束であることを示唆しています。制度を利用するということは、継続的な事業運営と内部承継を前提とした経営方針を選択することを意味します。その結果、例えばM&Aによる事業売却といった他の戦略的な選択肢は、猶予された税金の納付という大きな代償を伴うため、事実上、著しく制限されることになります 。したがって、この制度の利用は、財務的なメリットだけでなく、会社の将来像や所有構造に関する根本的な経営判断として、慎重に検討する必要があります。  

第4章:特例措置への唯一の扉「特例承継計画」

ここまで解説してきた特例措置のメリットを享受するためには、避けては通れない、そして最も緊急性の高い手続きがあります。それが「特例承継計画」の提出です。

The Golden Ticket: 特例承継計画

この「特例承継計画」は、特例措置を利用するための、まさに「入場券」です。この計画書を都道府県に提出し、確認を受けなければ、他の全ての要件を満たしていても特例措置を適用することは絶対にできません 。  

計画書には、会社の現状、後継者の氏名、事業承継の予定時期、そして承継後5年間の事業計画などを記載します 。作成にあたっては、税理士や商工会議所、金融機関といった国が認定した専門家(認定経営革新等支援機関)から「指導及び助言」を受けることが法律で義務付けられています 。  

The Final Countdown: 最終期限

この手続きで最も重要なのが、その提出期限です。

【最終期限は2026年3月31日】

「特例承継計画」を都道府県に提出できる最終期限は、2026年(令和8年)3月31日です。

この期限を過ぎてしまうと、特例措置を利用する権利は永久に失われます 。 

この計画書の提出は、事業承継の準備における、最も重要かつ時間的制約のあるステップです。

しかし、ここで非常に重要な点があります。特例承継計画は、実際に株式を贈与・相続する前、つまり事業承継の具体的な要件(後継者の代表就任など)が全て整う前に提出することが可能です 。さらに、計画を提出した後に、最終的にこの税制を利用しないと判断しても、何らペナルティはありません 。  

これは、計画書の提出が「最終的な決定」ではなく、将来の選択肢を確保するための「予約券」のようなものであることを意味します。この制度を利用する可能性が少しでもあるならば、まずはこの計画書を期限内に提出しておくことが、リスクのない賢明な戦略的行動と言えるでしょう。

第5章:経営者のための実践知:賢い制度活用の戦略

制度の仕組みを理解した上で、次に問われるのは、それをいかに戦略的に活用するかです。ここでは、経営者が主導権を握るための実践的な知恵を解説します。

Strategy 1: 「相続」ではなく「生前贈与」で主導権を握る

本制度は相続・贈与のいずれにも適用できますが、多くの場合、「生前贈与」で活用する方が戦略的に有利です。

その理由は第一に、タイミングのコントロールが可能になる点です。経営者が元気なうちに、後継者の準備が整い、事業が安定している最適な時期を選んで、計画的に承継を実行できます 。第二に、株価の固定です。贈与時点の株価で評価額が固定されるため、将来、万が一納税猶予が取り消された場合のリスクを、比較的低い株価の時点で確定させることができます。予期せぬ相続で事業を引き継ぐ場合、会社の業績がピーク時の高い株価で評価され、潜在的な納税リスクが高まる可能性があります 。そして第三に、  

円滑な移行です。先代経営者が後継者を直接指導・支援できる期間を確保でき、経営の空白期間を生むことなくスムーズなバトンタッチが実現します。

Strategy 2: 納税猶予でも「株価対策」を怠らない

「税金が猶予されるのだから、株価は高くても関係ない」と考えるのは早計です。前述の通り、納税猶予が取り消されるリスクは常に存在します。そのため、万が一の事態に備え、適法な範囲で自社株の評価額を適切に管理・抑制する「株価対策」は、依然として重要なリスク管理策です 。評価額が低ければ、最悪のシナリオが現実となった場合の納税額も少なくて済みます。  

Strategy 3: 専門家との早期連携は必須

事業承継税制は、その複雑さと長期にわたる報告義務から、経営者だけで完結できる手続きではありません。制度の適用を検討する初期段階から、この税制に精通した税理士などの専門家と連携することが成功の鍵を握ります 。特に、特例承継計画の策定には認定経営革新等支援機関の関与が必須であるため、信頼できるパートナーを早期に見つけることが不可欠です。  

結論:行動すべきは、今

事業承継税制の特例措置は、中小企業の事業承継を支援する制度として、過去に例を見ないほど強力なものです。しかしその裏側には、複雑な要件と長期にわたるコミットメントが求められるという二面性があります。

重要なのは、この制度が時限的なものであるという事実です。特に、その入り口となる「特例承継計画」の提出期限である2026年3月31日は、全ての経営者が認識すべきデッドラインです。

先延ばしにできる時間はありません。まず始めるべきは、対話です。ご家族と、後継者候補と、そして信頼できる専門家と、会社の未来について語り合うことから始めてください。この特例措置が、貴社の未来を切り拓くための正しい道筋であるかを見極めるために、今こそ行動を起こすべき時です。

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