皆様、こんにちは。公認会計士のSatoです。
IPO準備の山場である直前期(N-1期)に、多くの経営者が直面する最大の課題。それは、N-2期に構築したコーポレート・ガバナンス体制が、単なる「お飾り」ではなく、実際に「有効に機能している」ことを、客観的な証拠をもって証明することです。
N-2期が、ガバナンスという船の「設計・建造」の期間だとすれば、N-1期はその船が本当に荒波に耐えられるかを試す、1年間にわたる「試験航海」に他なりません。私たち会計士や主幹事証券会社、そして証券取引所は、その航海の様子を、虫眼鏡を持ってつぶさに観察します。
今回は、この極めて重要な「試験航海」を成功させ、ガバナンスの有効性をどう証明していくか、その要諦を解説します。
法が求めるガバナンスの「有効性」とは
なぜ、単に体制を「作った」だけでは不十分で、「運用実績」がこれほどまでに重要視されるのでしょうか。
その最大の理由は、経営者が最終的に提出する「内部統制報告書」にあります。上場企業の経営者は、自社の財務報告に係る内部統制が「有効である」と自ら表明し、その有効性について私たち公認会計士(または監査法人)の監査証明を受けなければなりません。これは金融商品取引法第24条の4の4に定められた、上場企業としての重い義務です。
ここでいう「有効」とは、ルールが存在するだけでは不十分で、そのルールが「意図した目的(不正や誤謬の防止・発見など)を達成するために、実際に、継続的に、機能している状態」を指します。そして、その継続性を証明するために、原則として最低1年間の運用実績が求められるのです。N-1期は、まさにこの実績を作るための1年間となります。
「航海日誌」の作成:N-1期に積み上げるべき運用実績
では、何をすれば「有効に機能している」と認められるのでしょうか。重要なのは、その活動を客観的な「証拠(エビデンス)」として、網羅的かつ体系的に残していくことです。N-1期に作成すべき、会社の「航海日誌」とも言える主要な証拠は以下の通りです。
① 取締役会・監査役会の「議事録」 これは、ガバナンス運用における最も重要な証拠です。単なる決定事項の記録では不十分です。
- 記載すべき内容: 開催日時、場所、出席者、議長はもちろんのこと、審議の過程が重要です。どのような資料が事前に配布され、特に社外役員からどのような質問や意見が出され、それに対して経営陣がどう回答し、どのような議論を経て決議に至ったか。その「議論の軌跡」を残すことで、取締役会が単なる「社長の承認機関」ではなく、健全な監督機能を果たしていることを証明します。
② 稟議書・契約書等の「承認記録」 職務権限規程が正しく運用されていることを示す、日々の証拠です。
- チェックポイント: 稟議書や契約書の一つひとつについて、規程で定められた承認ルート(例:課長→部長→役員)に従って、適切な権限者による承認印やサインが、日付と共に、漏れなく付されているか。私たちは監査の過程で、これらの書類をランダムに抽出し、規程通りに運用されているかを徹底的にテストします。
③ 内部監査の「実施記録」 内部監査室が、経営から独立して機能していることを示す証拠です。
- 必要な一連の記録:
- 年度監査計画書: 1年間の監査計画。
- 個別監査の往査通知・監査調書: 監査を実施した際の記録。
- 内部監査報告書: 監査結果と改善提案をまとめた報告書。
- 被監査部門からの改善報告書: 指摘事項に対して、部署がどう改善するかをまとめた回答。
- フォローアップの記録: 改善が実際に行われているかを、内部監査室が追跡確認した記録。
N-1期に陥りがちな「罠」と、その回避策
この「試験航海」においては、いくつかの典型的な「罠」が存在します。
- 「形骸化」の罠: 会議は開かれるものの、議論はほとんどなく、社長が話したことを追認するだけ。 【回避策】 経営者自らが、社外役員に対して積極的に意見を求めること。「何か懸念点はございませんか?」と問いかけ、沈黙を許さない雰囲気作りが不可欠です。
- 「今回だけは特別」の罠: 「緊急事態だから」「時間がないから」といった理由で、稟議プロセスを省略してしまう。 【回避策】 N-1期に例外はありません。規程は、会社の憲法です。もし緊急の対応が必要なら、そのための緊急時ルール(例:持ち回り決議など)も、あらかじめ規程の中に定めておくべきです。
- 「書類作成の遅延」の罠: 日々の業務に追われ、議事録や稟議書の作成・整理が後回しになり、監査直前に慌てる。 【回避策】 書類の作成・承認を、業務プロセスの一部として組み込むこと。例えば、「取締役会の担当者は、開催後3営業日以内に議事録のドラフトを作成し、回覧する」といったルールを徹底します。
最後に
N-1期は、IPO準備における最後の、そして最も重要な実地試験です。この1年間、規程という「設計図」通りに会社という船を動かし、その全ての航跡を「航海日誌」として meticulously(細心の注意を払って)記録していく。その地道な積み重ねが、ガバナンスの有効性を何よりも雄弁に物語ります。
N-1期の終わり、皆様の手元には、1年分の分厚い「航海日誌」(議事録や稟議書のファイル)が残るはずです。それこそが、貴社が公開企業となるにふさわしい、成熟した管理能力を持つことの、揺るぎない証となるのです。