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株式上場(IPO)の実務(25)IPO準備「直前期(N-1期)」の最重要課題。ガバナンス体制の“運用実績”をどう証明するか?

Sato|元・大手監査法人公認会計士が教える会計実務!

Sato|公認会計士| あずさ監査法人、税理士法人、コンサルファームを経て独立。 IPO支援・M&Aを専門とし、企業の成長を財務面からサポート。 このブログでは、実務に役立つ会計・税務・株式投資のノウハウを分かりやすく解説しています。

はじめに:N-1期は「作る」から「証明する」へ

株式上場(IPO)に向けた長い道のりにおいて、申請期の直前にあたる「N-1期」は、それまでの準備期間とは全く異なる意味を持つ、極めて重要な1年間です。N-2期(直前々期)までに必死に「整備」してきた社内規程や組織体制を、いよいよ本格的に「運用」する段階に入ります。

多くの専門書や解説記事では、このN-1期を「試運転期間」や「テスト期間」と表現しています 。これは、N-2期までに構築した内部統制、利益管理、会計制度といった経営管理体制が、上場企業として求められる水準で実際に機能しているかを、1年という時間をかけて試す期間だからです 。  

しかし、ここで経営者や実務担当者が持つべき最も重要な視点は、単に「運用する」だけでは不十分であるという点です。N-1期の真の目的は、「ガバナンス体制が有効に機能していることを、客観的な証拠をもって証明する」ことにあります。

上場審査では、「ルールブックは立派だが、実際には機能していない」と判断されれば、準備が大きく後退しかねません。審査官は、形式的な書類の存在だけでなく、その中身、つまり実質的な議論や牽制機能が働いているかといった「魂」の部分を厳しく評価します 。  

したがって、N-1期は、ただ漫然と会議を重ねる期間ではありません。来るべき上場審査に向けて、自社が上場企業にふさわしいガバナンス文化を持つことを証明するための、緻密に管理された「証拠作りの1年」と捉えるべきなのです。本記事では、公認会計士の視点から、この最重要課題である「運用実績の証明」について、具体的な方法を解説します。

審査官の視点:「運用実績」が上場における絶対条件である理由

なぜ、これほどまでに「1年間の運用実績」が重視されるのでしょうか。その答えは、東京証券取引所(東証)が定める上場審査の基準に明確に示されています。

東証の上場審査は、株主数や時価総額といった数値で測れる「形式要件」と、企業の質を問う「実質審査基準」の2つの側面から行われます 。そして、ガバナンス体制に関して最も重要なのが、実質審査基準の一つである「企業のコーポレート・ガバナンス及び内部管理体制の有効性」です 。  

これは、「申請会社において、コーポレート・ガバナンス及び内部管理体制が、企業の規模や成熟度等に応じて整備され、適切に機能していること」を求めるものであり、まさに「運用実績」そのものを問う規定です。

出典:東京証券取引所「有価証券上場規程」

主幹事証券会社や東証の審査官は、この「有効性」を判断するために、取締役会議事録、監査役会議事録、内部監査報告書といった膨大な資料を精査します 。彼らが知りたいのは、単に書類が揃っているかではありません。その書類から、企業の経営が健全に行われ、投資家を保護する仕組みが実質的に機能しているかという「実態」を読み取ろうとするのです。  

さらに、審査プロセスには社長や監査役、独立役員へのインタビューも含まれます 。ここでの質疑応答を通じて、審査官は書類に記載された内容と経営陣の意識に乖離がないか、ガバナンスの精神が企業文化として根付いているかを見極めます。  

つまり、上場審査におけるガバナンスの評価は、単なる書類審査ではなく、企業文化そのものへのテストなのです。N-1期に作成される一連の証拠書類は、その文化レベルを客観的に示すための、いわば「陳述書」の役割を果たします。付け焼き刃の対応ではなく、真摯な取り組みが求められるのはこのためです。

ガバナンスの3本柱:反論の余地なき「証拠ポートフォリオ」の作り方

では、具体的にどのような「証拠」を、どのように作成すればよいのでしょうか。ここでは、コーポレート・ガバナンスを支える最も重要な3つの機関、「取締役会」「監査役会」「内部監査室」に焦点を当て、それぞれがN-1期に作成すべき証拠ポートフォリオについて解説します。

1. 取締役会:セレモニーから「実質的な審議の場」へ

取締役会は、会社の業務執行を決定し、取締役の職務執行を監督する、コーポレート・ガバナンスの中核です。N-1期には、この取締役会が単なる報告会や儀式の場でなく、活発な議論と監督機能が働く「審議の場」であることを証明しなければなりません。

N-1期に求められるアクション

  • 適切な機関設計: 会社法および東証の要件を満たす取締役会を設置します。これには、最低1名以上の独立社外取締役の選任が含まれます 。  
  • 定期的・継続的な開催: 原則として毎月など、十分な頻度で取締役会を開催し、その実績を積み上げます 。  
  • 実質的な審議: 経営戦略や重要な業務執行について、特に社外取締役から積極的な質問や意見が出され、多角的な視点から議論が行われることが重要です。これは、金融庁と東証が定める「コーポレートガバナンス・コード」が求める取締役会の役割・責務(企業戦略等の大きな方向性を示すこと、経営陣に対する実効性の高い監督を行うこと)を実践する上で不可欠です 。  

証明するための証拠(=高品質な取締役会議事録)

取締役会の運用実績を証明する最も重要な証拠が「取締役会議事録」です。審査官は、この議事録から審議の深さや監督機能の実効性を読み取ろうとします 。以下の表は、審査で評価される議事録とそうでない議事録の違いを示したものです。  

表1:取締役会議事録の質を分ける「審査で評価される記録」 vs. 「評価されない記録」

項目評価されない記録(具体例)評価される記録(具体例)
議題の報告経理部長より、第2四半期決算について報告があった。経理部長より、第2四半期決算(資料X)に基づき報告。売上高は予算比105%で達成したものの、新製品Aの広告宣伝費が想定を上回り、営業利益は予算比95%に留まった旨の説明があった。
質疑応答特段の質疑応答はなかった。社外取締役Bより「新製品Aの広告宣伝費の費用対効果はどのように分析しているか」との質問があった。これに対し、担当役員Cが「現状の顧客獲得単価は目標値を20%上回っているが、LTV(顧客生涯価値)で回収可能と判断している。第3四半期からはウェブ広告の出稿先を見直す計画である」と回答した。
審議・意見なし。社外取締役Dより「競合他社の動向を踏まえると、短期的な顧客獲得コストよりも、ブランド価値向上に資する中長期的な投資に切り替える選択肢も検討すべきではないか」との意見が出された。
決議全員一致で承認可決。上記の質疑応答および審議を踏まえ、本件を承認。ただし、担当役員Cは次回の取締役会において、広告宣伝戦略に関する代替案とその効果測定方法について報告すること、との付帯決議がなされた。

このように、誰が、何を、どのように発言し、それに対してどのような議論がなされたかを具体的に記録することで、取締役会が実質的に機能していることを客観的に示すことができます。

2. 監査役会(または監査等委員会):独立した番人としての活動記録

監査役会は、取締役の職務執行を監査する独立した機関です。その役割が適切に果たされていることを示すためには、監査活動の具体的な記録が不可欠です。

N-1期に求められるアクション

  • 法定要件の充足: 監査役会設置会社の場合、監査役3名以上(うち半数以上が社外監査役)といった法定要件を満たす体制を構築・運用します 。  
  • 定例会議の開催: 定期的に監査役会を開催し、会計監査人や内部監査室と連携しながら監査計画や結果について協議します 。  
  • 積極的な監査活動: 取締役会への出席や重要な決裁書類の閲覧、業務及び財産の状況調査など、監査役としての権限を適切に行使します。

証明するための証拠(=具体的な監査役会議事録)

監査役会の運用実績は「監査役会議事録」によって証明されます。単に「取締役会に出席した」という記録だけでは不十分です。取締役会での発言内容、会計監査人との協議内容、内部監査部門から受けた報告に対する質疑など、監査役が独立した立場でどのように経営を監視していたか、その具体的なアクションを記録することが重要です 。  

3. 内部監査室:社内を巡る調査官の全記録

内部監査室は、業務の有効性や効率性、法令遵守の状況などを経営者の視点から独立して評価・助言する部門です。上場審査では、この内部監査が計画通りに実施され、発見された問題点が適切に改善されているかという一連のプロセス(PDCAサイクル)が機能しているかが問われます 。  

N-1期に求められるアクション

  • 独立性の確保: 内部監査室を、他の業務部門から独立した組織として設置し、代表取締役や取締役会に直接報告(レポーティングライン)できる体制を整えます 。  
  • 年間計画の策定と実行: リスク評価に基づき「年間内部監査計画」を策定し、社長承認や取締役会報告を経て、計画通りに監査を実施します 。  
  • 指摘と改善勧告: 監査で発見した問題点を「内部監査報告書」としてまとめ、被監査部門に対して具体的な「改善勧告」を行います。
  • フォローアップ: 改善勧告が計画通りに実行されているかを追跡調査(フォローアップ監査)し、その完了までを確認します。

証明するための証拠(=内部監査プロセス全体の書類)

内部監査の運用実績は、単一の報告書ではなく、監査プロセス全体を通じた一連の書類ポートフォリオによって証明されます。これらの書類が体系的に整備されていることが、実効性のある内部監査体制の証となります 。  

表2:内部監査の「運用実績」を証明する必須書類ポートフォリオ

書類名目的と記載すべき主要項目
年間内部監査計画書1年間の監査方針、監査対象部門、重点監査項目、実施スケジュール等を明記し、経営者の承認を得る。リスクの高い領域が適切にカバーされているかを示す。
内部監査通知書被監査部門に対し、監査の目的、範囲、日程、提出依頼資料などを事前に通知する。正規の手続きに則っていることを示す。
監査調書監査手続の実施記録。閲覧した資料、ヒアリング内容、発見事項などを客観的な事実に基づき記録する。監査報告書の根拠となる証拠。
内部監査報告書監査結果を正式に報告する書類。監査の目的・範囲、発見された指摘事項とそのリスク評価、具体的な改善提案などを記載する 。  
改善勧告書指摘事項について、被監査部門に具体的な改善策の策定と実行を求める。対応期限も明記する。
改善状況フォローアップ報告書被監査部門から提出された改善計画の進捗・完了状況を確認し、その結果を報告する。PDCAサイクルが完結したことを証明する重要な書類。

実践!N-1期ガバナンス運用実績のセルフチェックリスト

ここまで解説してきた内容を、自社の状況と照らし合わせ、準備に漏れがないかを確認するためのチェックリストです。IPO準備チームの定例会議などで活用し、N-1期の運用実績を着実に積み上げてください。

表3:N-1期ガバナンス運用実績・証拠書類セルフチェックリスト

ガバナンス機関N-1期における主要活動必須の証拠書類チェックポイント
取締役会独立社外取締役を交えた月次開催と実質的な審議質疑応答や各役員の発言要旨が具体的に記載された取締役会議事録□ 議事録は単なる決議の記録に留まらず、監督機能が発揮されていることを第三者が客観的に理解できる内容になっているか?
取締役会全体の実効性に関する自己評価の実施取締役会実効性評価に関する議事録、評価結果の概要□ コーポレートガバナンス・コードの要請に基づき、実効性評価を実施し、課題と改善策について議論しているか?
監査役会定期的な監査役会の開催と、会計監査人・内部監査室との連携監査活動(質問、調査、報告など)の内容が具体的に記載された監査役会議事録□ 議事録から、監査役が独立した立場で積極的に情報収集し、取締役の業務執行を監視している様子が読み取れるか?
内部監査室年間計画に基づく網羅的な内部監査の実施年間内部監査計画書、各監査の内部監査報告書□ リスクの高い領域を含め、主要な業務プロセスが監査対象となっており、計画通りに監査が実行されているか?
指摘事項に対する改善状況のフォローアップ改善勧告書、改善計画書、改善状況フォローアップ報告書□ 指摘事項が放置されず、改善されるまでの一連のプロセス(PDCA)が完結していることを書類で証明できるか?

まとめ:書類の先にある「ガバナンス文化」の醸成へ

IPO準備のN-1期は、上場審査という大きな山を乗り越えるための最終関門です。この期間に求められる「ガバナンス体制の運用実績」とは、単に体裁を整えた書類の束を用意することではありません。取締役会での真剣な議論、監査役による鋭い指摘、内部監査による自浄作用といった、生きたガバナンス活動の記録そのものです。

金融庁と東証が定める「コーポレートガバナンス・コード」は、企業の持続的な成長と中長期的な企業価値の向上を目的としています 。N-1期における一連の取り組みは、このコードの精神を自社に根付かせ、投資家から信頼される上場企業へと脱皮するための重要なプロセスです。  

本記事で紹介した証拠ポートフォリオの作成は、決して楽な作業ではありません。しかし、この1年間の真摯な取り組みを通じて醸成された「ガバナンス文化」こそが、IPOを成功に導き、上場後も企業が持続的に成長していくための最も強固な基盤となるのです。


ここでは、あくまで私個人の視点から、皆様のご参考としていくつかの書籍を挙げさせていただきます。

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